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【球児にエール】(6)プラス思考で前向きに ラグビー元日本代表、大野均さん

大野均氏(鴨川一也撮影)
大野均氏(鴨川一也撮影)

 小学4年で野球を始め、大学でラグビーに転向したが、高校(福島・清陵情報高)まではひたすらに白球を追った。下手くそだったが、野球が好きで、レギュラーになりたいと思い、一生懸命だった。頭の中の半分以上は野球のことが占めていた。

 そんな野球少年にとって、甲子園は本当に憧れの場所だった。小学生、中学生の頃からあの舞台に立ちたいというのが一つの目標だった。

 1995年、高校2年の春、選抜大会に私のチームが出場させてもらった。1月に阪神淡路大震災が起き、わずか2カ月後。こんな状況で開催できるのか議論がなされたが、多くの方の尽力があって大会は行われた。当時は感謝にまで思いは至らなかったが、人の力はすごいなと感じた。

 私はベンチ入りできず、甲子園のグラウンドには練習日に立たせてもらった。ただただその広さに圧倒された。楽器を使った応援は禁止されたので、全校生徒と一緒に楽器を使わない方法を練習し、スタンドで応援したことを覚えている。

 今大会は通常の大会とは違うが、テレビで見ていると、いつもと変わらない熱戦というか、“夏の甲子園”だと感じる。球児の皆さんには、新型コロナウイルスの影響が世界規模で広がっている状況下で野球ができることをまずは喜んでほしい。そして大人になったときに感謝の気持ちをもってもらいたい。

 こんな事態が高校3年の夏にぶつかってくるなんて「なぜこんなときに」と思う生徒もいるだろうが、この事態をプラスの方向に変えるような考え方をしてもらいたい。これまで当たり前のようにやっていた練習ができず、毎日のように会っていたチームメートと顔を合わせることもできなかったと思う。しかし、その経験を通して仲間の大切さを改めて感じることはできたはずだから。

 ■おおの・ひとし 1978年、福島県郡山市生まれ。清陵情報高(福島)では、外野手、捕手として野球部に所属。日大工学部に進学後、ラグビーを始め、卒業後はロックとして東芝や日本代表で活躍した。代表キャップ数98は歴代最多。今年5月、引退を発表。現在は東芝ラグビー部普及担当。

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