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【末續慎吾の哲学】子供に夢を語れるか

五輪会場の新国立競技場=東京都新宿区(本社ヘリから、彦野公太朗撮影)
五輪会場の新国立競技場=東京都新宿区(本社ヘリから、彦野公太朗撮影)

 国内外で新型コロナウイルス禍は収まらず、来年に延期された東京五輪の開催を危ぶむ声が聞こえてくる。確かに完全な形での実施は難しいと思う。人命を大事にするのは大前提だ。

 だが、今から「中止すべき」と言い出すのは、あまりに無責任だと思う。日本・東京は自ら五輪開催に手を挙げ、世界から任された立場だ。最後まで面子を保ち、筋を通すことに意義がある。

 僕は日本代表に選ばれていた20代の頃、怪我をしても「走れない」とは言えなかった。国の代表という重責を感じていたからだ。日本人は世界的イベントを担うバトンを託されている。「どうせ勝てないから」と諦めるのではなく、必死に走る。こういう時こそ青臭いことを言って、やせ我慢してでも、そういった姿を見せる。

 なぜ、後ろ向きな風潮になってしまっているのか考えてみた。みんなコロナとの長期戦に疲れているのだろう。ただ、それだけではない、それ以前の問題のような気がする。そもそも日本人の多くが東京五輪に真剣でなかった。スポーツ界が、そう促せていなかった。それが今、露呈している。

 そして、もう一つ思うのは「やり切ってきた大人」が少ないのではないかということだ。物事に向き合う。思いが遂げられなければ喪失感が生まれる。取り組みが真剣なら真剣な程、絶望は深い。僕は世界大会に出場できなかった時は、出るはずだったレースと同じ日に1人で走っていた。そうやって自分自身に“けじめ”を付けてきた。

 そういう、つらさを受け止める経験、乗り越える経験が少ないから、傷付かないうちに諦めてしまうのではないか。人間、厳しい道だと分かっていても進まなければいけない時がある。逃げずに戦えば、終わった時、どんな結果でも「追いかけていた夢って、こうだったんだ」と分かる。夢から自由になれる。

 東京五輪は規模を縮小してでも、簡易になってでも成立を目指すべきだ。いや、目指す気概と行動をはっきり見せるべきだ。そうしないと日本は何か大きなものを失ってしまう気がしてならない。大切なのはやれた、やれなかったではない。どう向き合うかだ。

 この先、子供たちに夢を真っすぐ語れるか? 何を見せたいか? 子供は純粋だ。大人の背中から感じたことが、これからの彼ら彼女らの根っこになる。

(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

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