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【末續慎吾の哲学】情報、モラル、そしてスポーツ

隅田川テラスでランニングや散歩をする人々=5月9日午後、東京都台東区(納冨康撮影)
隅田川テラスでランニングや散歩をする人々=5月9日午後、東京都台東区(納冨康撮影)

 日常で多くの時間を費やしていたことが新型コロナウイルスによってストップした。アスリートである僕の場合、それは走ったり、人と直接会って話したりといった現実的な身体感覚を伴ったものだったが、それがほとんどなくなった。

 外出自粛の期間、じっとしていることで逆に見えてきたこともあった。その一つが「情報」についてだ。インターネットが発達した現代は、無防備に情報が流れ込んでくる。僕もあやふやな内容をどこか信じてしまったりする。

 今は情報の判断、選択、距離の取り方など受け手に見識が求められる時代で、個人的な意見も多く出回り、明確な答えのないテーマも少なくない。そういうものを自分なりに的確に捉えられないと生きづらいと改めて感じたところだ。

 さらに新型コロナは「日本人が持つモラル」が試された一件でもあったように思う。自粛期間が長引くうち、県外ナンバーの車に嫌がらせをするなど他人を過度に罰するような動きが出てきた。日本人は一見、全体的な統率は取れているけど、そういった方向性を間違えた「正義」があったせいか、モラルへの理解が少し幼いようにも見えた。

 抑圧され続け、ヒステリックになってしまうことは理解できる。だからこそ、まず自分で自分の行動に対して客観的であるべきだったはずだ。当面、世の中は今回のように止まったり動き出したりを繰り返していくのだろう。言葉の使い方も「自粛」から、自発的なニュアンスを含む「自重」に変えていった方がうまくいくかもしれない。

 そして、考えたのが「スポーツ」のことだ。スポーツは肉体を使って勝ち負けがつくもの。人間は五感を備えていて、「実感できるもの」はなくならない。

 新型コロナが広まってから、公園などを走っている人が本当に多い。人間は走るんだな、何もしないままではいられないんだなと感じる。われわれは動物だ。身体感覚を本能的に求めている。情報という実体がないものが混在する不透明な状況だからこそ、自分の感覚を保つために、やはりスポーツは必要になるのだろう。人間であるために。

 これからスポーツそのものがどういう形で一般社会と関わっていくのか。今はその意義、役割を問う良い機会ではないかと考えた。

(陸上世界選手権200メートル、北京五輪400メートルリレーメダリスト)

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