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球史に輝く月見草 反骨心原動力に打倒ON 野村克也氏を悼む 清水満

平成30年2月、巨人とホークスのOB戦を前に、野村克也さん(手前)と記念撮影する(左から)長嶋茂雄さん、張本勲さん、王貞治さん=宮崎市
平成30年2月、巨人とホークスのOB戦を前に、野村克也さん(手前)と記念撮影する(左から)長嶋茂雄さん、張本勲さん、王貞治さん=宮崎市

 あの時の笑顔が忘れられない。11日に死去した野村克也さんは8年前の平成24年、巨人の宮崎キャンプを訪れ、原辰徳監督から贈られた巨人の帽子をかぶった。「まさか、こんな日が来るなんて…」。そのときのご満悦な表情である。

 「子供のころからずっとジャイアンツファンやったんや」と、何度か聞いた。テスト生として南海(現ソフトバンク)に入団し、昭和40年に戦後初の三冠王に輝くなど球界に金字塔を打ち立てた。その源は、巨人への憧れから生まれた反骨精神だった。

 「長嶋(茂雄さん)や王(貞治さん)という存在があったからこそ、何くそって頑張れたんやな」

 野村さんに1度だけ巨人入りのチャンスがあった。50年に巨人はリーグ最下位に終わり、南海で監督兼任だった野村さんに極秘に接触した。当時、チーム内の派閥抗争に巻き込まれ孤立していた野村さんは、選手兼ヘッドコーチを快諾していた。諸般の事情で“幻”に終わってしまった。

 巨人側で交渉に同席していた広報担当の張江五さんは「あの時ノムさんが入っていたら巨人はどんなチームになっていたか。たら、れば、の話だけどね」と述懐していた。

 時がたち、平成15年のオフ、息子の克則さん(現楽天作戦コーチ)がトレードで巨人入りした。その前夜、たまたま一緒に食事をした。

 「克則が巨人や…」

 一報が届き、うれしそうな笑顔も忘れられない。当時は評論家で巨人に辛口だった。とたんに甘口になり「息子が世話になってるから、しゃあないやろ」と笑顔を見せた。

 ユニホームを脱いだ後は日本全国から講演活動の依頼が相次いだ。雑草育ちの野村さんはエリートの長嶋さん、王さんを題材に「ひがみ、妬みネタ」で聴衆を笑わせていたが、本音をこう吐露したことがある。

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