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【阪神大震災25年 スポーツの力(中)】袖の「がんばろうKOBE」と共に成し遂げた日本一 プロ野球オリックス

阪神大震災のあった平成7(1995)年に行われたオリックスの優勝パレード。イチロー選手(左)らがファンの声援に手を振って応えた =平成7年11月5日、神戸市
阪神大震災のあった平成7(1995)年に行われたオリックスの優勝パレード。イチロー選手(左)らがファンの声援に手を振って応えた =平成7年11月5日、神戸市
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 「がんばろうKOBE」。阪神大震災が起きた25年前、神戸市に本拠地を置くプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)はこのスローガンを掲げて戦い、平成7(1995)年にリーグ優勝、翌8年には悲願の日本一に輝いた。選手、そしてチームを突き動かした原動力は何だったのか。あれから四半世紀を経た今、中心選手の一人だった小川博文(52)は「使命感だった」と振り返る。

野球をしても…と自問

 地震が起きた平成7年1月17日。独身の小川は兵庫県西宮市の自宅で激しい揺れに襲われた。命の危険を感じて屋外に飛び出し、向かったのは近くに住む同僚、高橋智(52)の家。途中、道路の亀裂から噴き出すガスが陽炎のように揺らいでいた。

 その後、小川の家に避難してきた高橋の家族らと一緒に、約1週間過ごした。困ったのは水。断水が続く中、破裂した水道管から水が漏れ出していると聞くと、バケツを抱えて駆け付けた。知人がポリタンク30個分の水と食料を持ってきてくれたときには、人のぬくもりが心に染みた。

 「こんなときに野球をしていいのか」「他に役に立てることがあるのではないか」…。2月のキャンプインを控え、小川には戸惑いがあった。「プロの選手なのだから、野球をするしかない」と思いながら、神戸の街の惨状を目の当たりにすると気持ちは揺れた。

(次ページ)背中を押してくれたファンたち、初オープン戦どっと8500人

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