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【虎番疾風録第3章】(84)「ドラ番記者」への誘い

 長嶋監督の「解任騒動」が冷めやらぬプロ野球界。10月25日のスポーツ紙に小さな“監督交代”の記事が載った。

 24日、中日・中利夫監督の退団と近藤貞雄新監督の就任が発表されたのである。紙面にはユニホーム姿で近藤と握手する中監督の写真が掲載された。

 中利夫、昭和11年4月28日、群馬県出身。県内でもトップクラスの進学校、県立前橋高から30年に中日入団。「東大へ進学するかプロへ行くか悩んだ」というから相当の秀才だったようだ。

 俊足巧打の名選手。背番号は「3」。高木守道と1、2番コンビを組んだ。35年、50盗塁をマークし「盗塁王」。42年には打率・343で「首位打者」に輝き、53年に与那嶺要の後を受け「監督」に就任した。

 中監督とは少し“縁”があった。54年、入社1年目のこと。大相撲春場所(大阪)での「朝汐番」から急遽(きゅうきょ)、「野球班」に回された筆者が、初めて取材したプロ野球の監督が中日の中監督だった。

 ナゴヤ球場の一塁側ベンチ。たまたま一人でいた中監督に名刺を差し出した。すると、とたんに監督の表情が笑顔に変わった。

 「君は新しくウチの担当になるのか?」「いいえ、先輩の手伝いです」「いや、ウチの担当になりなさい」。初対面でいきなり〈何をいい出すんや〉と戸惑っていると…。

 「いい名前だ。『龍一』ウチの担当記者にふさわしい名前だ。会社の上司に言ってやろうか」「け、けっこうですよ。ボク、虎番を目指してるんです」「トラもドラもそう変わらん」「いや、大きな違いです」。なんとかその場は誘いを振り切ったが、以後、会うたびに「気持ちは変わってないか?」と笑顔できかれた。55年に「虎番になりました」と報告すると、寂しそうな顔をして「おめでとう」といってくれた。

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