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プレーバック・ラグビーW杯(上) 第1回~第3回 

 第1回大会は1987年、ニュージーランド(NZ)と豪州の共催で行われた。ラグビー界は当時アマチュアで、プロ化の機運が高まった両国の提唱などで開催に至った。予選を行わず16チームを招待する形で行われ、日本も出場した。

 世界の強豪と戦うW杯は日本にとって夢の舞台。監督としてチームを率いた宮地克実は「世界と戦えるわくわくが大きかった」と回想。ただ、初めての経験に日本は手探りの状態。外国チームの映像も思うように入手できなかった。

 初戦の米国戦。トライ後のキックやPGを外し18ー21で競り負けた。宮地は「チームとしての戦いができず、ゴールキックの練習もあまりできていなかった」と明かす。

 続くイングランドに7ー60、豪州に23ー42で敗れ、日本のW杯初挑戦は幕を閉じた。

 大会はNZが強さを誇示した。開幕戦でWTBジョン・カーワンが約90メートルの独走トライ。W杯の号砲を華々しく鳴らすと勝ち進み、初代王者に輝いた。

 大陸別予選が導入された91年の第2回大会、日本は宿沢広朗監督、平尾誠二主将の2人がチームを牽引。スコットランド、アイルランドに連敗して迎えた1次リーグ最終戦のジンバブエ戦を52-8で勝利。WTB吉田義人が2トライを挙げた。

 日本ラグビー史に残るW杯初勝利を、フランカー梶原宏之は「このままでは日本に帰れない。平尾さんから『絶対に勝つんや』と檄が飛んだ」と述懐する。

 大会は豪州が初優勝。カナダが8強入りした。

 95年の第3回大会は、アパルトヘイト(人種隔離)撤廃に伴い国際舞台に復帰した南アフリカで開催された。1次リーグでウェールズ、アイルランドに敗れた日本は、第3戦でNZに17-145と歴史的大敗を喫した。

 大会後の9月、国際統括団体による選手のプロ化容認が決定。梶原は「選手がプロの気持ちをもたないといけない、世界のスタンダードに変えていく必要があると感じた」と振り返る。

 大会は南アフリカが制した。優勝杯をピナール主将に手渡したのは、反アパルトヘイトの闘士として知られたマンデラ大統領だった。

 ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会は20日、開幕する。4年に1度の世界一を決める大会が始まったのは1987年で、日本は9大会連続出場となる。これまでの大会を振り返る。

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