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「戦争の悲惨さ伝えたい」戦病死した甲子園スターのグラブ展示 野球殿堂博物館 

野球殿堂博物館に展示されている本橋精一さん愛用のグラブ=東京都文京区(三尾郁恵撮影)
野球殿堂博物館に展示されている本橋精一さん愛用のグラブ=東京都文京区(三尾郁恵撮影)
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 東京ドーム(東京都文京区)内の野球殿堂博物館に、使い込まれた古いグラブが展示されている。戦前に甲子園大会や東京六大学で活躍しながら、戦争の犠牲になった選手の忘れ形見を遺族が寄贈。物言わぬ証人は、戦争の悲惨さ、本人の無念の思いを来館者へ語りかけている。

 グラブの持ち主は東京都八王子市出身の本橋精一さん。早稲田実業のエースだった昭和10年夏、甲子園で開催された全国中等学校優勝野球大会で4強入りした。準々決勝では、前年優勝校の広島・呉港中を5-0で完封している。呉港中のエースで4番が、後にプロ野球の阪神で活躍する藤村富美男さんだった。

 本橋さんは早大へ進学後、主に二塁手としてプレー。日米開戦直前とあって試合は日曜祭日のみ、各大学同士の対戦も1試合に制限されていた16年秋のリーグ戦で、チームトップの打率2割6分7厘をマークし、優勝に貢献した。

 新聞報道で「白面(はくめん)の投手」「美少年」と称された本橋さんは、当時のスター選手だった。本橋さんの実弟の妻、成子(しげこ)さん(89)=横浜市=によれば、現在のJR八王子駅で、通学のため朝6時半の電車に乗る本橋さんを一目見ようと、女学生数十人が待ち受ける光景は地元で有名だった。

 本橋さんは早大を卒業後、三菱重工名古屋工場に勤務。すでに婚約者もいたが、陸軍に召集されて中国戦線へ赴き、終戦翌年の21年1月、旧満州延吉で戦病死した。28歳だった。「温和な性格の人だったそうです」と成子さんは義兄の早すぎる死を悼む。

 終戦から74回目の夏を迎え、「そういう時代(戦争)があって平和な今があることを、グラブの展示を通じて特に子供たちに知ってほしい」というのが野球殿堂博物館の願いだ。

 グラブは来年3月まで展示される。

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