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小出さん死去 有森さん、やりとり詳報 「私の性格に合わせてくれた」

1992年8月、バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得し記者会見する有森裕子選手(右)と小出義雄さん(共同)
1992年8月、バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得し記者会見する有森裕子選手(右)と小出義雄さん(共同)

 陸上指導者の小出義雄さんの訃報を受け、教え子で女子マラソンのバルセロナ五輪銀、アトランタ五輪銅の2大会連続メダルを獲得した有森裕子さんは24日、東京都内で取材に応じた。

 報道陣との主なやりとりは次の通り。

 --訃報に接した心境は

 「何回か倒れ、練習を見られないという情報は時々聞いていた。ああいう体調でよく監督は頑張ったと思います」

 --状況はどう伝わっていたのか

 「ボルダーで倒れたとか、大きいニュースは。だいぶ前ですね。でも、倒れてから『たばこやめたんだよ』とか、『お酒飲んでいないんだよ』とか、会ったときにしか体調は聞けなくて。会ったときは元気なんですよ。気を遣って元気にしちゃうから、会った後はガクンと来るらしくて」

 --病院での様子は

 「元気なんです。とにかくしゃべる。1人1人の選手に本当に気を遣って。昔のタイムや出来事を。私が覚えていないような試合のこととか、頑張ったこととか。よく覚えてくれているな、と」

 --監督との思い出は

 「最初にお会いしたのは、私が全く鳴かず飛ばずの時。その時、ニコニコ話を聞いてくれた姿から、リクルートに入って全然走れない私に練習メニューを一生懸命考えてくれた姿…。(言葉に詰まり)けんかもしょっちゅうしましたけど、手のかかるアスリートに困っていた監督の顔がよく浮かびます」

 --監督の教え方とは

 「私の性格に合わせた練習メニューの出し方、伝え方をしてくれた。(有森さんの)実績がない中、押しかけていった私の気持ちをなるべく萎えさせないよう、随分工夫されたと思う。女子選手にこれ以上の距離を走らせてはいけないという変な常識があったことを、『俺は打ち破るんだ』と言って、結構な距離のメニューをうれしそうに出していた。常識を破ることが大事だ、と」

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