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【虎番疾風録第2章】(39)高校野球取材の“宝物”

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PL学園時代の小早川
PL学園時代の小早川

 高校野球の取材ではたくさんの“宝物”を得ることができる。その最大のものが人との「つながり」である。将来、プロ野球の大スターになるかもしれない逸材たちとの交流。今大会の出場選手の中にも、後年、プロ野球で活躍した選手がたくさんいた。

 浪商の香川伸行(南海)、牛島和彦(中日)、箕島の嶋田宗彦(住友金属-阪神)、高知商の森浩二(阪急)、中西清起(きよおき)(リッカー-阪神)、そしてPL学園の小早川毅彦(たけひこ)(法大-広島)である。不思議なことに小早川とは、ずっと取材接点がなかった。もちろんPL学園の取材には何度も行ったが、常にテーマは「逆転のPL」。香川や牛島のように個人で取り上げることはなかった。はるか後年、小早川が広島の打撃コーチをやめ、平成22年にサンケイスポーツの評論家になったとき、はじめてつながりを持った。

 小早川とサンケイスポーツとは“小さな因縁”がある。昭和54年12月、彼は淡路島・洲本で行われた法大野球部のセレクションを受けた。PL学園・鶴岡泰(やすし)監督に連れられ神戸港から淡路・洲本港へ渡る高速艇の中で、一人の青年と出会った。ポツンと心細そうに座っている青年に鶴岡監督が「君もセレクション受けるんやろ? ほな一緒に行こう」と声を掛けたのである。青年の名前は吉川達郎、國學院久我山(東京)からの受験生だった。

 2人は合格し、法大へと進んだ。だが野球部人生はまるっきり違った。小早川は200人以上の部員の中でレギュラー25人しか入れない「合宿所」に1年生で入寮。春季リーグから「四番」を務め、史上最年少で東京六大学野球のベストナイン(一塁手)に選ばれた。一方の吉川は胸のネームも背番号もなし。それでも胸を張って4年間を務めあげた。

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