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引退のレスリング吉田、勝ち続けた「国民的アスリート」

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平成24年8月、ロンドン五輪レスリング女子55キロ級で五輪3連覇を達成し、日の丸を掲げ、マットを一周する吉田沙保里(鈴木健児撮影)
平成24年8月、ロンドン五輪レスリング女子55キロ級で五輪3連覇を達成し、日の丸を掲げ、マットを一周する吉田沙保里(鈴木健児撮影)

 “霊長類最強女子”の名にふさわしい五輪3連覇を含む世界大会16連覇に、個人戦206連勝。無類の強さで勝ち続けた吉田沙保里は、レスリングの魅力を世間に広めた国民的アスリートだった。

 五輪代表候補だった父、栄勝さんの指導で磨いたタックルが絶対的な武器。自身の実績を積み上げると同時に、「沙保里さんが練習すると、雰囲気が変わる」と周囲が明かすほどの集中力は、五輪金メダリストへと成長した選手もいる後輩たちへ好影響も与えた。

 3歳でレスリングを始めたとき、女子はまだマイナー競技だった。五輪競技に採用されたのは2004年アテネ五輪。かつての海外遠征では、男子代表が大会後にチャーターしたバスで現地観光に向かっても、女子は留守番を強いられることもあった。

 不遇の時代を知るからこそ、メディアの取材にはいつも協力的だった。五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)が「沙保里さんが表に出てくれるから、私は競技に専念できる」と感謝するように、レスリングの人気、普及拡大への最大の功労者だった。

 現役最後の一戦は、日本選手団で女子初の主将を務めた3年前のリオデジャネイロ五輪決勝のマット。第2ピリオドに逆転を許すと、終了間際に引き離された。4度出た五輪で、ただ一つ喫した黒星だった。

 当時33歳。かつての低い構えは腰高になり、衰えは隠せず、「30年間やってきたレスリングをすべて出し切ることができた」と振り返っていた。休養で時間を引き延ばしても、あの舞台で再び戦うためのモチベーションは戻ってこなかった。(田中充)

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