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【写 2020パラスポーツ】トライアスロン・佐藤圭一 限界はない、どこまでも強く

トライアスロン挑戦を勧められたサイクルショップで。ここからクロスカントリー、バイアスロンとの“三刀流”がはじまった=名古屋市北区
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 日に焼けた甘いマスク。新緑がまぶしい5月、横浜で開かれた国際大会で周回コースを走ると、通過するたびに沿道の観客から、ひときわ大きな歓声が上がる人気者だ。

 先天性形成不全により左手首から先が欠損する障害がある。子供の頃、積極的に運動に打ち込むことはなかったという。それでも「障害があるから人と違うとみられるのが嫌」で、右手だけ使いキャッチボールができるよう、陰で練習したこともあった。

 パラ競技を知ったのは19歳の冬だった。1998年、長野パラリンピック特集記事に興味を持ち、現地で観戦したクロスカントリースキー。「両手のない外国人選手が他の選手を抜く姿が衝撃的だった」。その後4年間、会社員として過ごした。が、再び2002年のソルトレークの記事に触れ「人生を振り返ると、やりたいことを全くやっていなかった」ことに気付く。

 「特別なことをしたかった」と、目指したのがパラリンピック。単身カナダに渡り武者修行を続けた。そのかいあって2010年のバンクーバーから3大会、クロスカントリーとバイアスロンで、冬季パラリンピック連続出場を果たした。

 しかし、結果は残せず、練習に変化を求めて挑戦したロードバイクがきっかけで、トライアスロンと出合う。大会に出るとスイムで上半身は疲れ切り、続くバイクとランで下半身が消耗した。「自分の体はこんなに動かないのか」とショックだったが、トレーニングとして可能性を感じた。

 競技に慣れた頃、2016年のリオでトライアスロンが正式種目に決定。周囲の勧めもあり出場を目指した。思いは通じた。ロシア選手がドーピングで失格、大会直前に初の夏季大会出場が繰り上げで決まった。世界ランク上位の選手がそろうレース。「分差で最終ゴール」を覚悟したが、前の選手の背中を見ながらの最下位フィニッシュに手応えを感じた。

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