産経ニュース

【スポーツ異聞】沢村栄治生誕100年 「鎮魂の碑」はなぜ、ファンの目の「遠く」にあるのか

スポーツ スポーツ

記事詳細

更新

【スポーツ異聞】
沢村栄治生誕100年 「鎮魂の碑」はなぜ、ファンの目の「遠く」にあるのか

戦場に散った野球人の死を悼む「鎮魂の碑」。東京ドームの20ゲート付近にあるが、ファンの目にほとんど届かない=東京・後楽園 戦場に散った野球人の死を悼む「鎮魂の碑」。東京ドームの20ゲート付近にあるが、ファンの目にほとんど届かない=東京・後楽園

 プロ野球草創期に不世出の大投手として名をはせた沢村栄治(1917~1944年)の功績は、最も優れた先発投手に贈られるタイトル「沢村賞」として顕彰され、背番号「14」は球界史上初の永久欠番として刻まれている。しかし、戦後70年余りが過ぎ、「天才投手」の雄姿を記憶する者はほとんどいない。戦場に散った悲劇の野球人の功績に思いをいたし、顕彰する「鎮魂の碑」も野球ファンの目に届かないような場所にある。今年は沢村生誕100年にあたるのだが…。

 戦争の影が色濃く漂う中、沢村は野球生活最後の日を迎えていた。昭和18年10月、西宮球場での阪神戦。試合終盤、沢村は「代打」として打席に立った。なぜ、伝説の大投手に代打が告げられたのか判然としないが、三邪飛(ファウルフライ)という結果に終わった。分かっていることは、沢村はこのときすでに戦地で手榴弾の投げ過ぎによって右肩を壊していたということだ。

 その後、再びマウンドに立つことはなかった。翌19年12月、終戦8カ月前に南方戦線のフィリピン近海で米国の潜水艦の攻撃を受けて帰らぬ人に。享年27。「3度にわたる召集さえなければ…」。本人にとっても悔やまれる死だったに違いない。

ベーブ・ルースもお手上げ

 日本野球の扉を開けた沢村の「伝説」の中でも、日米野球での奮闘は今に語り継がれるエピソードだ。昭和9年11月、日米野球のために結成された全日本軍の17歳右腕は、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグを擁する全米軍から9個の三振を奪うなどきりきり舞いにして、その名をとどろかせた。試合はゲーリッグに本塁打を浴びて0-1で惜敗した。

続きを読む

このニュースの写真

  • 沢村栄治生誕100年 「鎮魂の碑」はなぜ、ファンの目の「遠く」にあるのか
  • 沢村栄治生誕100年 「鎮魂の碑」はなぜ、ファンの目の「遠く」にあるのか
  • 沢村栄治生誕100年 「鎮魂の碑」はなぜ、ファンの目の「遠く」にあるのか

「スポーツ」のランキング