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【舞の海の相撲俵論】角聖を救った旅順神社

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【舞の海の相撲俵論】
角聖を救った旅順神社

 角界広しといえど、この人ほどの艶福家(えんぷくか)はいなかった、と語り継がれている。私が出羽海部屋へ入門した頃に兄弟子から聞いた話では「あなたの子です」と突然現れた母子の数は50人以上。全て認知したという。事の是非は別にして、懐の深さを感じさせる。

 第19代横綱として明治後期から大正初期に君臨し、出羽海部屋の礎を築いた常陸山だ。

 旧水戸藩士だった父は明治維新後に運送業などを営んでいたが、破産。名門・水戸一高の前身にあたる水戸中学を中退し、上京して叔父の元に身を寄せた。東京専門学校(現・早稲田大学)進学を目指していたが、怪力が目に留まり、角界へ入門することになったという。

 当時、出羽海部屋は親方1人弟子1人の小部屋。最高位へと昇進し、相手に力を出させてからねじ伏せる横綱相撲を貫く姿はまさに「品格力量抜群」だったという。第20代横綱二代目梅ケ谷と「梅常陸時代」を築き、引退後は出羽海親方として、48歳で早世する約8年のわずかな期間に3横綱4大関を育てた。

 弟子たちには常々自立することの大切さを植え付けていた。

 「力士という字を読んでみろ。力の侍なんだ。今の力士はまるで幇間(ほうかん)か末社(まっしゃ)みたいに、ただ粋筋(いきすじ)を頼って生きている。技よりも精神を鍛えねばならぬぞ」と。

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