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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(4)】 大リーグ視察経験 ロッテで念願の初優勝

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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(4)】
 大リーグ視察経験 ロッテで念願の初優勝

優勝トロフィーをうれしそうに掲げるロッテの濃人渉監督(右)と主力選手の池辺巌ら=1970年10月、東京球場

 1961年のシーズン、あと一歩で巨人にリーグ優勝をさらわれた中日監督の濃人渉(のうにん・わたる)は翌62年も3位に終わると、監督を更迭され、球団技術顧問という名ばかりの閑職に追いやられた。しょげかえる濃人を妻のミツは「アメリカにでも行って(野球を)勉強してきなさいよ」と励ました。

 濃人は戦前に名古屋金鯱の内野手時代、甲子園球場で観戦する、選手の間で評判の美人だったミツを射止めた。当時は珍しい恋愛結婚だった。

 捨てる神あれば拾う神あり。ミツの勧めで63年に約4カ月の大リーグ視察を終えた濃人は同年秋、パ・リーグの大毎(現ロッテ)からヘッドコーチに招かれた。

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 球団名が東京となって4年目の67年、戸倉勝城監督が成績不振でシーズン途中の8月に解任され、濃人が指揮官に昇格。円熟味の増した52歳は、5年ぶりの采配にも「度胸が出てきた」と自信を口にした。

 この年、社会人から入団した新人外野手の得津(とくつ)高宏は思い切って米国・ルイスビル社製の高価なバット10本を購入。これを知った濃人から練習中に呼ばれた。

 しかられると覚悟する得津へ濃人は封筒を差し出した。中身はバットの購入代金の5万円。「これでしっかり打てよ」の言葉が月給10万円の身にはありがたかった。

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