競泳・山田拓朗 5度目舞台へ「最高の自分出す」

月刊パラスポーツ
パラリンピック・リオデジャネイロ大会競泳男子50メートル自由形S9で3位に入りガッツポーズの山田拓朗=2016年9月13日、五輪水泳競技場(蔵賢斗撮影)

 2年前のパラリンピック・リオデジャネイロ大会。競泳の花形種目、男子50メートル自由形(運動機能障害S9)で26秒00をマークし悲願の銅メダルを獲得した山田拓朗(NTTドコモ)は、「25秒99だったら辞めていたかも」と明かす。27歳。届かなかった100分の1秒が、2020年東京大会へ挑む最大のモチベーションだ。(西沢綾里)

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 生まれつき左肘から先がない。3歳から通い始めたスイミングスクールで、大嫌いだった水と仲良くなった。同級生よりも早く4泳法をマスターした。小学1年で、高学年の子とがむしゃらに記録を競った。もちろん、ほとんど左腕を使っていない。

 「小さいころは自分に腕がないと気づいてなかったんじゃないかな。そんな感覚に近い」と笑う。片手ながらも抜群の運動神経で、跳び箱も、縄跳びも、ボール投げもクラスで一、二を争った。

 パラリンピックを知ったのは9歳のときだった。所属していた障害者の水泳チームの先輩だった酒井喜和さんが、2000年シドニー大会男子100メートル背泳ぎ(視覚障害)で世界の頂点に立った。金メダルを触らせてもらった。「かっこいいな」と憧れた。

 世界最高峰の舞台「五輪」を目指していた。健常者のスイマーと肩を並べながら力をつけた。わずか4年後の13歳のときに、04年アテネ大会に最年少で出場した。結果は50メートル自由形、400メートル自由形ともに予選落ちだった。

 「世界はとにかく速かった。そしてパラという大会に感動した」。観客総立ちの大喝采で会場が震えた。かつてない緊張と興奮を味わった。戦いの場をパラリンピックに絞った。

 当初は400メートルを重点的に鍛えていた。高校時代は練習で1日8千メートル泳いでいた。ただ、自身の片腕がない状況と片方の足がないスイマーが同じクラスで、長距離は両手で水をかけないと不利だと気づいた。短距離種目に転向。12年ロンドン大会の50メートルで4位となり、確かな手応えをつかんだ。

 リオデジャネイロ大会前、知り合いの紹介で義手を作ってもらい、左右均等に上半身の筋力トレーニングができるようになった。現在は午前に4千メートルの水中練習を行い、午後は筋トレでみっちり汗を流す。

 新たについた左胸の筋肉で、短い左腕でも推進力を得られるようになった。さらに体幹が強くなれば、水面と平行に体を維持する姿勢が保て、水の抵抗による失速を最小限に抑えることができる。

 2年後の東京大会を競技人生の集大成と位置づける。これまで4度のパラリンピックでは必ず自己ベストを更新してきた。「自分がどこまでできるのか、自分自身が知りたい。本番で最高の自分を出せる自信はある」

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【プロフィル】山田拓朗

 やまだ・たくろう 1991年4月12日、兵庫県生まれ。生まれつき左腕の肘から先がない先天性前腕亡失。3歳から水泳を始め、2004年パラリンピック・アテネ大会に最年少の13歳で出場。08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロと4大会連続で代表となり、リオでは男子50メートル自由形で銅メダルを獲得した。