「涙は見せない絶対に」 競泳・池愛里 

写 2020パラスポーツ
新緑の中を散歩する。パラリンピックだけでなく、学業との両立も目指している=東京都世田谷区(蔵賢斗撮影) 

 練習が休みの日でも授業があるんです…」。少し不満そうにおどける。講義前と午後、2回の練習で泳ぐ距離は1日平均14キロ超。それでも、笑顔は疲れを感じさせない。年々競技人口が増え、記録も更新されているパラ水泳で、東京パラリンピックのメダル獲得が期待される。武器は178センチの長身と長い手足だ。

 小学3年の夏、左太ももの裏に痛みを覚えた。筋肉痛だと思っていたが、日に日に腫れが悪化、歩くのも困難になった。複数の病院を受診して判明した病名は「滑膜肉腫(かつまくにくしゅ)」。悪性腫瘍、がんだった。さまざまな部位、組織から生じる滑膜肉腫は多種多様。過去に症例がないタイプだった。

 当時は治療法が確立されておらず、担当医から宣告されたのは左足切断。「幼い頃から走り回るのが大好きで、それができないのは想像できませんでした」という。娘の気持ちをくんだ母・育美さんは、患部だけを取り除き抗がん剤を使う治療法を探した。

 抗がん剤の効き目が命を左右する危険もあった。周囲からは、生きることを最優先するよう説得された。が、切断しない道を自分で選んだ。神経に絡むがん細胞を手術で削り、抗がん剤治療は半年に及んだ。「同じ部屋でがんと闘っていた子が急に亡くなり、本当に怖かった」。つらい治療と恐怖に耐え切断は免れたが、左足首にまひが残った。

 水泳との出合いは小学5年。リハビリで始めたが、週1回通ううちに楽しくなり本格的に取り組んだ。健常者と争う競技水泳に限界を感じ始めた中学2年のとき、パラリンピック出場資格があると知り再び意欲がわいた。高校の3年間は、パラ水泳日本代表の峰村史世ヘッドコーチの下で練習に明け暮れた。高校1年で50メートル自由形のアジア記録を更新し、手応えを感じた。

 高校3年で挑んだリオデジャネイロパラリンピックでは7種目に出場。チームで戦った400メートルリレーでは6位に入賞し日本記録を更新した。しかし、個人では予選落ちばかり。「周りの選手が全員強く見えて。完全に雰囲気にのまれました」。世界との差を痛感し涙が出た。この経験から、レース後の涙は「いい結果の時だけ」と心に決めた。

 「もっと練習しないと」と、強豪の日本体育大へ進学した。「最初は全然ついていけませんでした」と振り返るが、健常者との練習では当たり前。それでも必死で食らいついた。左右の足で筋量が違うため、体幹や筋力トレーニングでバランス感覚を養っている。

 「自国開催という特別な舞台。個人でもチームでもメダルをとりたい」。東京パラリンピックの目標を語る表情は、自信にあふれていた。練習で使うビート板にはこう記した。「絶対に人に涙を見せない。笑おうじゃないか」(写真報道局 蔵賢斗)

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【プロフィル】池愛里

 いけ・あいり 1998年9月12日生まれ。19歳。茨城県取手市出身。東京成徳大学高校、日体大在学中。好きな食べ物は肉、イチゴ。ワンオクロック(ONE OK ROCK)の大ファン。