【月刊パラスポーツ】パラトライアスロン・秦由加子 輝ける場所「もっとやれる」 - 産経ニュース

【月刊パラスポーツ】パラトライアスロン・秦由加子 輝ける場所「もっとやれる」

バイクで走る秦由加子。2020年東京大会での活躍を期している(c)Satoshi TAKASAKI/(公社)日本トライアスロン連合(JTU)
 「このままでは終われない」-。初出場した2年前のパラリンピック・リオデジャネイロ大会で6位だったパラトライアスロン女子の秦由加子(マーズフラッグ・稲毛インター)は、雪辱を期し、2020年東京パラリンピックの「表彰台」に向けてトレーニングを続けている。(田中充)
                  ◇
 かつて、人前で義足を見せることすら恥ずかしかった37歳のやる気を引き出す原動力はリオ大会だ。選手村に足を踏み入れると、世界中から障害を持ったアスリートたちが集まっていた。「それぞれがいろんな苦労を乗り越えてきたんだなと。だからこそ、パラリンピックは輝ける場所なんだと思えた」。本番は障害に応じて分かれる自身の種目で6位に入ったが、満足はできなかった。夢舞台を踏めた喜びは「もっとやれる」との思いへと変わっていた。
 小学校時代は水泳に熱中し、中学はダンス部に入った。日常にあったスポーツを奪われたのは、中学1年の秋だった。右膝下のすねに感じた痛みは骨肉腫と診断され、生きるためには大腿(だいたい)部からの切断しかなかった。
 手術後は切断した脚を見られたくなくて、体育は高校卒業まですべて見学した。スポーツとは無縁のまま、大学を卒業して社会人に。転機は2007年だった。趣味の幅を広げようと、水泳を再開した。久々のプール。突き刺さる周囲の視線に10分で上がった。
 「私は一生、人の目を気にして生きていかないといけないのかな。自分が変わらないと…」。翌年春、勇気を振り絞って、地元に発足した障害者の水泳チーム「千葉ミラクルズSC」に入った。障害を気にすることなく、生き生きと泳ぐ周囲の姿に気持ちが吹っ切れた。何より、水中で体が浮く感覚が楽しかった。
 直後に開催された08年北京大会で初めてパラリンピックの存在を知った。「自分も出たい」。4年間、水泳に打ち込んで夢を追った。強化選手にも選ばれたが、12年ロンドン大会の標準記録は突破できなかった。気持ちを切り替え、リオ大会から正式種目になったパラトライアスロンでの再チャレンジを決意。「最初は両足が地面から浮いた瞬間が怖かった」という義足で走ることへの恐怖心の克服から取り組み、夢舞台へとたどり着いた。
 2度目の大舞台へ、仕事と競技の両立を続け、朝6時からスイムやバイクの練習に汗を流し、仕事を終えた夕方から再びトレーニングする。「今季はバイク(自転車)の強化がテーマ」。まだまだ進化を続ける。
                  ◇
【プロフィル】秦由加子
 はた・ゆかこ 1981年4月10日、千葉県生まれ。13歳のとき、骨肉腫のため、右大腿部から切断して義足に。社会人になってからスポーツを再開し、2016年パラリンピック・リオデジャネイロ大会に初出場して6位。昨年の世界選手権も6位。パラトライアスロンはスイム750メートル、バイク(自転車)20キロ、ラン5キロで競う。20年大会の実施種目(クラス)は年内に発表される予定。