負けず嫌いは筋金入り 車いすバスケットボール・古沢拓也

写 2020パラスポーツ
桐蔭横浜大のキャンパスで笑顔を見せる。4月から新生活が始まった=横浜市青葉区

 「友達できましたよ」。新年度から編入した桐蔭横浜大のキャンパスで声を弾ませた。大学生と車いすバスケットボール日本代表の「ふたつの顔」を持つ。プレー中の迫力あるまなざしと違い、穏やかな笑顔が印象的だ。

 先天性の二分脊椎症。成長期に障害が出る可能性があるのは知っていた。小さい頃、日常生活に支障はなく、父親とのキャッチボールが日課。やんちゃな小学生時代は校長室に呼び出されたこともあった。野球が得意な人気者だった。

 しかし、小学6年の2008年、検診で脊髄空洞症と診断された。手術が必要な合併症で、術後は下半身にまひが残る。早めに手術をしないと手に障害が出る恐れもあった。ある程度覚悟はしていた。でも、“その時”はあまりにも早く、そして突然、訪れた。

 「キャッチボールもできず、中学で野球部にも入れない」。自分の足で歩けなくなることより、友達が自分を認めてくれた野球を奪われるのがつらい。悩む時間も選択肢もなかった。09年1月に手術、小学校には、6年の3学期途中から車いすで復帰した。いろいろと気遣ってくれる先生や友達の優しさがうれしい半面、寂しくもあった。

 手術前、横浜で開かれた車いすスポーツの体験会に参加していた。「選んだのは、すんなりできたテニスではなく、片手ではシュートがゴールまで届かないバスケ」だった。「できないことが何よりも悔しい」。筋金入りの負けず嫌いだ。

 中学1年で車いすバスケの社会人チーム「横浜ドリーマー」に入った。野球に通じる部分もあるチームスポーツ。すぐに夢中になった。ポジションはコート内のまとめ役、ポイントガード(PG)。持ち前のセンスで頭角を現し、13年には高校2年生で23歳以下の日本代表に選ばれた。

 とんとん拍子に見えたが14年12月、招集された日本代表強化指定選手選考合宿で衝撃を受けた。「生活をかけ“死ぬ気”で参加している選手に圧倒された。ここにいていいのかと初めて弱気になった」。手応えもなく落選。準備を怠った自分に腹が立った。

 これを機に、強豪の「パラ神奈川SC」へ移籍。週4日の練習は6日に増えた。気持ちを入れ替え猛練習に打ち込んだ。その結果、昨年6月、カナダで行われたU-23世界選手権に主将として出場。ベスト4に入り個人賞も獲得した。10月には日本代表で公式戦デビューも果たした。

 「野球はしたい。その気持ちが消えることはない」と話すが、今は「世界一のPGになる」という目標もある。「考える暇があったら練習する」。2020年東京パラリンピックだって通過点。負けず嫌いはこの先も変わらない。(写真報道局 川口良介)

                   ◇

【プロフィル】古沢拓也

 ふるさわ・たくや 1996年5月8日生まれ。21歳。横浜市港北区出身。横浜修悠館高、神奈川大を経て桐蔭横浜大在学中。趣味はスイーツ店巡りで、特に抹茶スイーツがお気に入り。好きな芸能人は本田翼、野球選手は阪神・鳥谷敬。