【再び夢舞台へ】ママアスリート、谷真海の挑戦 腰痛との闘い支え10年 万全ケア、力引き出す - 産経ニュース

【再び夢舞台へ】ママアスリート、谷真海の挑戦 腰痛との闘い支え10年 万全ケア、力引き出す

走り幅跳び時代から抱える腰痛対策のため、佐藤さんのケアを受ける谷=東京都内
 「痛っ、イタタタッ」。パラトライアスロン女子の谷真海が思わず表情をゆがめる。「右肩のほうが動きが硬いね」。ビューティフルマインド(東京都港区)代表取締役の佐藤守さんはこう言いながら、肩甲骨まわりの筋肉をほぐしていく。わずか数分後、うつぶせの状態で耳の横あたりまでしか上がらなかった腕が、頭の位置よりも高く上がるようになった。
 「体を整えてもらうことで、いいトレーニングを続けることができている」。シーズン開幕を控え、ケアを終えた谷の表情は晴れやかだった。
 柔道整復師や針きゅう、あん摩マッサージ指圧などの資格を持つ佐藤さんは「骨格を整えたり、筋肉の張りを取り除いていく作業を組み合わせることで、自然治癒力を高めることが狙い」と語る。月に1回程度、約1時間半のケアを10年近く続けてきた。最大の狙いは、谷が「走り幅跳び時代からの“爆弾”」と明かす腰の痛みを和らげることだ。
 谷が腰の故障と付き合うことになったのは、2大会連続出場となった2008年北京大会の直前からだ。激痛が走り、歩くこともままならなくなった。パラリンピック欠場も考えたほどだった。診断結果は椎間板ヘルニア。故障部位は背骨と骨盤をつなぐ腰椎の右側で5番目の骨のさらに下の箇所と判明した。
 原因は明らかだった。義足を履く右で、ハードな練習の衝撃を受け止め続けた代償だ。十分なトレーニングで体の土台ができる前から競技に打ち込んだ負荷がずっとかかっていた。医師の判断は手術には踏み切らず、ケアで乗り切るというものだった。体幹を鍛え、患部周辺を筋肉のよろいで守るためのトレーニングを本格化。知人の紹介で出会った佐藤さんやほかのトレーナーから多くのサポートを受け、ケアにも努めることになった。
 パラトライアスロン転向後は、バイク(自転車)に乗るときなど、長時間にわたって体の軸を保つための負荷がかかるようになった。スイムの練習によって上半身に疲労も蓄積。同じ腰の痛みでも、原因が走り幅跳び時代とは違うことを知った。ケアの重点箇所が一見、腰とは無関係に見える肩甲骨になったのもこのためで、佐藤さんは「泳ぐとき腕が上がればその分だけこぎ出すリーチも伸びる」と、ケアによって肩の可動域を広げる重要性も強調する。
 日々のトレーニングの成果もあり、佐藤さんは「筋肉の状態は20代」と明かし、「1センチでも動きやすくなれば感覚でわかることに優れている。こちらも、やりがいもある」と話す。もちろん、いまでも一番怖いのは再発のリスクだ。「わかりやすくいえば、割れた茶碗(ちゃわん)を接着剤でつけたような状態。もう一度、落とせばその部分が割れる」。ケアの2~3割は再発防止に意識を置いている。
 周囲の人と同様に谷の性格を「前向きでポジティブ。だからこそ、30代で競技転向ができたんだろう」と話す。そんな佐藤さんも実はトライアスロン愛好者だ。
 2011年5月。当時の谷は約1カ月前に東日本大震災で故郷の宮城・気仙沼も被災し、走り幅跳びの練習と向き合える心境ではなかった。実はこのとき、谷は何とか気持ちを切り替えて体を動かそうと初めてトライアスロンの大会に出場している。ハワイ・ホノルルでの大会で、佐藤さんたちも一緒だった。
 大会前日のスイム練習。海中を少し泳いだ佐藤さんは、すぐに後ろを振り返った。初心者だった谷が心配だったからだ。だが、ほかの仲間とどれだけ探しても姿が見えなかった。ようやくとらえた谷の姿は、はるか前方にあった。幼少期に水泳をしていたとはいえ、「才能の片鱗(へんりん)を見せられました」と振り返る。その才能と努力を最大限に発揮できるように-。佐藤さんはそんな思いでサポートを続けている。(田中充、写真も。掲載随時)