ママアスリート、谷真海の挑戦 “生命線”支える職人の力 新たな義足開発へ

再び夢舞台へ
谷真海(右)と義足の調節について話し合う義肢装具士の臼井二美男さん(東京語荒川区、義肢装具サポートセンター)

 シーズン中もオフの期間も、パラトライアスロン女子の谷真海は頻繁に地下鉄に乗り、ある場所へ姿を見せる。南千住駅にほど近い「鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター」。ここには愛用する義足の調節をしてくれる義肢装具士の臼井二美男(ふみお)さん(62)がいる。右脚の膝下を切断した谷が義足でスポーツに取り組んで以来、もう15年近い付き合いだ。

 骨肉腫の手術で切断したときに残った膝下部分が10センチほどしかない。転移のリスクを軽減するには仕方なかったが、残った部分が少ない。蹴り出すパワーを生み出す上でもハンディになり、何よりこの10センチで体重を支えなければならない。

 足裏から切断部を包み込むカップ状のソケットまで、わずかでもバランスが合わなければ、走ることはおろか、その場に立っていることすらできない。義足の調整はまさに“生命線”。谷の臼井さんへの信頼は高い。

 競技用の義足は、バイク(自転車)用に底がビンディングでペダルと固定できるタイプと、ラン用の2種類。用具の性能は進化が目覚ましい。たとえば、ソケット部分に使用するシリコンは汗がたまりやすく競技中も滑る危険があったが、今春からは速乾性に優れたシリコンが商品化された。

 それでも、大会や練習で感じた改善点はどれだけやっても解消されるものではない。最後は“職人”の力が必要だ。

 9月下旬。谷はバイク用のソケットは後部のカップの形状を浅くしてほしいという要望を届けた。バイクをこぐとき、膝裏とすれて痛みが生じていたからだ。ブルーの作業着姿の臼井さんが作業場へ消え、待つこと約30分。改良されたソケットができあがってきた。浅く削られた部分には痛みを緩和するためのテープも張られていた。

 健常者である臼井さんは言う。「自分の義足になったつもりで、イメージを膨らませている」

 実は現在、谷と臼井さんは新たな義足の開発に取り組んでいる。

 きっかけは谷が初出場で優勝した9月の世界選手権だ。通常は海から上がると、バイクまでのトランジションでラン用の義足を履き、バイク用に履き替える。ランでは再び履き替える。手と足に障害がある選手が同じクラスで争うため、義足の選手は履き替えのタイムロスで圧倒的に不利だ。

 ところが、谷は海外の男子選手が1つの義足でレースをこなしているのを目撃した。帰国後、臼井のもとへ駆けつけた。

 相談を受けた臼井さんはすぐに妙案が思い浮かばなかった。ペダルと固定するバイク用の義足は、底面に金属製のビンディングが取りつけられている。しかし、ランでは金具部分が地面にぶつかって邪魔になる。雨天だと滑りやすく転倒にもつながりかねない。

 だが、トランジションでの短縮ができれば、タイムは1分単位で縮まる。「アスリートの鍛錬、そして精神力を最後に手助けできる部分が、自分にあるとすれば、義足の改良」と臼井さん。谷と話し合いながら必死にアイデアをひねり出している。「2020年には間に合わせたい」。2人の共通の思いだ。

 サポートセンター内で、谷はちょっとした有名人だ。「真海さんですよね」。声をかけてきたのは30代の男性だった。学生時代から足の障害で思うように走れなかったという男性は最近、手術で義足になった。

 きっかけは2013年9月に谷がプレゼンターを務めた20年大会招致の様子をテレビで見たことだった。「勇気をもらえました。義足で新しい人生をスタートさせる決心がつきました」。谷にそのことを伝えたかった。結婚し、幼い子供がいるという。いつか、運動会で一緒に思いっきり走りたい。そんな思いを胸にリハビリに励んでいる。

 男性だけではない。谷が義足をプレゼントした高校生は大学生になり、陸上で障害者スポーツの全国大会に出場できるレベルに成長した。

 東京・築地にある「国立がん研究センター」は、谷が早大時代に義足になった医療施設だ。「同センターからは、真海ちゃんが初めての患者でした」。臼井は振り返る。いまでは毎年、スポーツ用の義足も依頼が舞い込む。“勇気”のバトンが受け継がれている。(田中充、写真も。掲載随時)

 ■谷真海(たに・まみ)1982年3月12日、宮城県生まれ。旧姓・佐藤。早大時代に骨肉腫を発症し、20歳のときに右足膝下を切断して義足生活に。2003年1月から高校時代以来の陸上競技を再開。女子走り幅跳びで04年アテネ大会から12年ロンドン大会まで3大会連続でパラリンピックに出場。16年からはトライアスロンに転向した。サントリーに勤務する傍ら講演などでパラリンピックの普及・啓発にも取り組む。14年に結婚し、15年春に第一子の長男を出産した。

 ■臼井二美男(うすい・ふみお) 1955年、前橋市生まれ。28歳のとき、鉄道弘済会の門を叩き、義肢装具士の道に入る。89年、日常生活用の義足に加え、競技用義足の製作を開始。義足を装着した切断障害者の陸上指導に当たり、2000年のシドニー、04年のアテネパラリンピックで日本代表選手団にメカニックとして同行した。現在も一般患者からアスリートまで幅広い顧客を持ちながら、陸上指導を続けている。

 ■義肢装具士 事故や病気で両手両足の一部を切断した人に、元の手足の形や機能を復元するために取り付ける人工の手足を作成、適合させる技師。国家資格で全国に養成校が10カ所あり、3月末時点の試験合格者は計5125人。1987年制定の義肢装具士法による。かつては炭鉱や鉄道の事故で四肢を失うケースが多かったが、近年は糖尿病などの病気で四肢を切断する患者も増えている。