パラアイスホッケー・熊谷昌治 いざ平昌へ「競技の火 絶やさない」

月刊パラスポーツ
平昌パラリンピック最終予選のスウェーデン戦で、攻め上がる熊谷(手前) =10月、スウェーデン(共同)

 開幕まで100日を切った平昌パラリンピックに、アイスホッケー日本代表が2大会ぶりの出場を決めた。10月の最終予選突破の立役者となったのは、チーム最多の4得点を挙げたFWの熊谷昌治(42)=アディダスジャパン。失意からパラアスリートとの出会いを機に、事故で負った障害を克服。いまでは競技人口の拡大へ向け「出場だけで満足してはいけない」と人一倍の覚悟を持っている。(川峯千尋)

 その時のことは、今でも鮮明に思い出せる。2008年8月、バイクで国道を走行中に対向の右折車にはね飛ばされた。4カ月後、右足の膝下を切断。「これから、妻にも子供にも迷惑をかけて生きるのか」。当時33歳。不安がこみ上げ、病室で何度も泣いた。

 退院後に義足のハイジャンパー、鈴木徹さんの講演に足を運んだ。同じ障害を持ちながら、ぴょんぴょんと跳ね回る姿に希望を見つけた。「自分も何かできるかもしれない」

 車いすバスケや陸上、水泳なども体験したが、アイスホッケーを選んだのは、知人で10年バンクーバー大会での銀メダル獲得に貢献した吉川守(中部電力)の存在があったから。「やるなら本気で、結果を出している人たちとプレーしたい」。競技開始3カ月で代表入りを果たすと、ひたむきに練習に励んだ。

 迎えた前回ソチ大会の最終予選は、1勝しかあげられず敗退。スピード、シュートの正確性、ゴール前の判断力…。突きつけられた課題と向き合い、4年かけて今の得点力を培った。いまや中北浩仁代表監督が「世界のトップクラスに入ってきた」とたたえるエースへと成長した。

 来年1月に長野で開催される国際大会を経て、平昌代表17人が選出される。平均年齢は41歳と高齢化し、国内の競技人口は約40人で、今回出場を逃せばメディアへの露出も減り、競技存続の危機に陥っていただろう。

 平昌で結果を残し、裾野を広げる足がかりにしたい-。最近、その思いをさらに強くした出来事があった。最終予選を前に、高校1年の長男が野球部の仲間に父を応援してくれるように呼びかけていた。「すごいな」「かっこいいじゃん」。友人からの返信にはうれしい言葉が並んでいた。引け目に感じていた障害は、アイスホッケーと出会い「自慢できるもの」に変わった。3児の父として、日本のエースとして「なんとしても、この競技の火を絶やさせてはいけない」。そう心に決めている。

【用語解説】パラアイスホッケー

 下肢の障害者によって行われる。スケートの刃を2枚付けたそり(スレッジ)に座って乗り、両手に持つスティックで氷上をこぎ進みパックを打つ。リンクの広さや基本的なルールはアイスホッケーと同じで、試合は1ピリオド15分の3ピリオド制。同時にプレーするのはGKを含めて6人。選手交代は自由で、障害の程度によるハンディはなく、ボディーチェック(体当たり)も認められている。