東日本大震災10年


大切なあの人、思い出のわが家、お気に入りの場所が、10年前の3月11日、失われた。
東日本大震災から、10年。
東日本大震災から、10年。
「10年ひと昔」という言葉がある。あの年、生まれた子は小学生になり、小学生だった子は社会の荒波にもまれている。でも、まだ、津波にのまれた街ではかさ上げ工事が続き、放射線量が高く住めない町もある。誰にもひとしく、10年はたった。だけど、止まったままの悲しみも、めまぐるしい成長も、その歳月の流れや密度は人それぞれだ。10年。前に進んだって、立ち止まったって、振り返ったって。ただ、あの日、あのときを「昔」で片づけてしまわないように。

福島県双葉町の学校の教室には、
いまもランドセルが残されていた
記事一覧

気仙沼のカフェを拠点に復興を見つめ続ける俳優、渡辺謙さん
「句点(。)ではなく、ほんのちょっとした読点(、)でしかない。被災地の現状を知れば知るほど、ここで区切りを打って終わり、ということではないんだと感じる」東日本大震災から、3月11日で10年。俳優、渡辺謙はこう言葉を選ぶ。…

MAN WITH A MISSIONと平学さん 「使命を持った男」たちの被災地にかける思い
オオカミの叫びが夕闇を切り裂いた。「福島の、みなさーん、お待たせいたしました! We are…跳べー!」ギターとベース、ドラムの重低音が響く。5匹のオオカミに導かれるように、仮設ステージ前の人波がうねる。…

あきらめず、前向く 孤高の村に贈る歌
学び舎の目印は三角屋根の時計塔。しんしんと降る雪のなか、子供たちの声が聞こえる。福島県飯舘村に昨年4月、小中一貫の義務教育学校「いいたて希望の里学園」が開校した。…

被災の爪痕を残す遺構は雄弁な証人
街が復興へ歩みを進めると、被災の爪痕を残した建物や家屋は姿を消す。「震災遺構」。いわば「物言わぬ証人」だ。約26年前のあの日。変わり果てた神戸の街、その最も被害の大きかった神戸市長田区の一角に…

「なんとなくそばに」阪神から東北へ 広がる支援の輪
26年前、神戸を襲った地震は多くの命を奪った。その後、がれきに覆われた街で、新たな人のつながりを生んだ。阪神大震災が発生した平成7年は「ボランティア元年」と呼ばれる。…

未来の姿、重ねる出会い 宮城・閖上の丹野祐子さんと日航機墜落事故、連絡会の美谷島邦子さん
流れる汗をぬぐい、濃緑を進む。海沿いの街で暮らしてきたから、夏には慣れっこ。だけど、この深い森には慣れることがない。ふと、感じた。「山は生きている」…

きっかけ食堂 コロナ禍もオンライン交流で東北との縁つなぐ
東日本大震災から9年9カ月たった昨年12月11日夜。乾杯の発声に、画面の中の20人ほどが、一斉にヨーグルトを掲げた。オンライン会議システムを使った「きっかけ食堂」の開店だった。…
被害状況
死者・行方不明者数
岩手、宮城、福島3県を中心に1万5899人もの尊い命が犠牲となり、2527人が行方不明となった

避難者数
ピーク時に47万人にも上った避難者数は4万人台まで減少した。だが、東京電力福島第1原発事故による被害を受けた福島県では、現在も7市町村で帰還ができない地域があり、約3万7千人が避難生活を送る。

関連死者数
長期の避難生活によるストレスなどで体調を崩す人も相次ぎ、福島県の震災関連死は震災による直接の死者を超え、2313人にも上る。
