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【ベルリンの壁崩壊30年】(5)欧州に新たな「壁」

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 ハンガリー南部レスケの平原に高さ4メートルのフェンスが延々と伸びていた。有刺鉄線が備えられ、高圧電流の注意書きもあった。監視カメラが目を光らせ、武装警官も巡回。2015年、欧州に殺到した難民・移民の入国防止のため国境に約500キロにわたり設置された。住民は「おかげで移民はもう来ない」と語る。

 オランダ研究機関の調査では、欧州連合(EU)と周辺国に今ある国境フェンスは15カ所に及ぶ。1千キロ近くの総距離は「ベルリンの壁」(155キロ)の6倍以上だ。大半は15年、移民対策のため建てられた。

 「大きく失望した」。ハンガリーのネーメト・ミクローシュ元首相(71)は現状を嘆いた。冷戦末期の1989年春、首相としてオーストリア国境の鉄条網を撤去し、夏以降、西独に逃げるため流入した東独市民に国境を開放。欧州を分断した「鉄のカーテン」に最初に穴を開けた決断はベルリンの壁崩壊につながった。「壁があっては欧州が一つになれない」との思いが東独市民への人道対応を決断させたという。

 移民危機ではメルケル独首相が寛容な受け入れ策で流入を促したと批判されたが、ネーメト氏はその決断がなければハンガリーに滞留した移民が凍死するなど「悲劇が起きていた」とし、感謝する。フェンス建設にも移民問題の根本解決にならないと反対だが、レスケ住民は「移民から欧州を守るフェンスと、欧州を分断した壁は別物だ」とフェンスを擁護する。

 メルケル氏の下で「欧州の盟主」と称されたドイツが近年、軋轢を生んだ側面は否めない。移民危機はその一つ。欧州債務危機では、財政規律を重視するドイツが2010年以降のEU支援の条件としてギリシャに厳しい財政緊縮策を求めて批判され、2つの危機はポピュリズム(大衆迎合主義)勢力などEU懐疑派伸長の契機ともなった。

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 移民への人道対応はナチスのユダヤ人迫害への反省に由来し、健全財政への固執の背景にも戦前の超インフレの苦い記憶がある。だが、EU内の軋(きし)みで「ドイツ流」押し付けへの自戒も出てきた。独大統領府外交部門責任者、トーマス・バガー氏はこう指摘する。

 「ドイツの教訓は例外的な歴史から導かれたものであり、普遍的にみえても簡単に他国で再生できないと気づく必要がある」

 ドイツの影響力が欧州で突出した背景には、統一前まで保たれたフランスとの力関係の変化がある。統一直後に駐独仏大使を務めたフランソワ・シェール氏(85)も「仏独均衡が統一で崩れた」と指摘する。

インタビューに応じるハンガリーのネーメト元首相。手にしているのは30年前に撤去したオーストリア国境の鉄条網の一部=2019年7月、ブダペスト(宮下日出男撮影)
インタビューに応じるハンガリーのネーメト元首相。手にしているのは30年前に撤去したオーストリア国境の鉄条網の一部=2019年7月、ブダペスト(宮下日出男撮影)
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 「フランスにとり欧州統合はドイツ強大化を抑える目的があった」と語るシェール氏は、当時のミッテラン仏大統領もドイツ統一に不安を抱いたからこそ、「統合推進の機会だと話していた」と回顧する。だが、その後の通貨統合は独経済に有利に働き、構造改革も断行したドイツは経済力を増大。改革に遅れたフランスは差を付けられた。

 独外交政策評議会(DGAP)の仏人専門家、クレア・デメスメイ氏も「ドイツが『ノー』といえば今、EUは動かない」と語る。一方で、歴史的経緯から他国の警戒を受けやすいドイツにとりフランスの協力は重要だ。加盟国増加で調整は難しくなったが、仏独の一致はなおEUの政策を推進する前提条件となる。

 とりわけ米中露がパワーゲームを繰り広げ、英国がEU離脱に向かう中、マクロン仏大統領は防衛協力やユーロ圏の強化など欧州の利益保護のためEU改革を主導し、ドイツに強く協力を求めている。

 ドイツも危機感は共有するが動きは鈍い。DGAP所長のダニエラ・シュワルツァー氏は「ドイツはマクロン氏の求めに十分な答えを出せておらず、EUに推進力を与える機会が失われかねない」と懸念する。

 「大国のボールにならないため、欧州として主権を獲得せねばならない」

 マクロン氏は昨年11月、独連邦議会での演説でこう呼びかけたが、メルケル氏は政権末期を迎え、行方は混沌としている。=おわり(ハンガリー南部レスケ 宮下日出男)

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