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【ベルリンの壁崩壊30年】(4)中国市場に警戒緩み

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 旧東独反体制派の英雄的存在として著名な歌手、ボルフ・ビアマン氏(82)夫妻が4月、ベルリンに暮らす中国人の友人宅を訪れた。「劉霞さんはどう?」。まず気にしたのはノーベル平和賞受賞者の中国民主活動家、故・劉暁波氏の妻の様子だった。

 友人は2011年からドイツに亡命中の中国反体制派の作家、廖亦武(りょう・えきぶ)氏(61)。廖氏は通訳を通じ、「霞さんの調子はいいよ。ドイツ語も勉強し、友人もできた」と伝えた。

 ビアマン氏は17年、中国で拘束中だった劉氏らを救出するため劉夫妻と親しい廖氏からの手紙や情報を友人のメルケル独首相に手渡し、政府を動かした。劉氏は17年7月に事実上、獄中死し、救えなかったが、霞さんのドイツへの出国は昨年7月に実現した。

 「独裁と戦った者は自然と結びつく」。ビアマン氏は廖氏との友情関係をこう語る。東独時代にはギターを“武器”に体制批判の歌をつくり、国籍を剥奪され、親友は獄中死した。廖氏も1989年6月の天安門事件に関する創作活動などで獄中を経験した。

 中国の民主化運動弾圧に連帯を示した東独政権はその後、民主化デモで崩壊。一方、中国は共産党支配を維持したまま欧米と経済関係を深め、米国と覇権を争うまでに発展した。30年後の光景に廖氏が漏らす。

中国反体制派の作家、廖亦武氏(右)の居宅を訪れ、ギターを手に歌を歌う旧東独反体制派の著名歌手、ボルフ・ビアマン氏 =4月、ベルリン
中国反体制派の作家、廖亦武氏(右)の居宅を訪れ、ギターを手に歌を歌う旧東独反体制派の著名歌手、ボルフ・ビアマン氏 =4月、ベルリン
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 「民主主義が普遍的なら中国の民主化を後押しすべきだ。だが、欧米は自国利益ばかり追求してきた」

 廖氏の言葉を象徴する街がドイツにある。西部デュイスブルク市。中国の巨大経済圏構想「一帯一路」で欧州側の陸路の終着点だ。

 コンテナ基地の敷地に山積されたコンテナには中国企業名が目立つ。中国から到着した列車の貨物は欧州各地に向かう。数年前まで週3本だった列車は今、週25本に増えている。

 同市は90年以降、中心産業だった鉄鋼業が衰退したが、中国が交通の要衝として着目。進出企業は100社を超え、市は中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)とスマートシティ構想も進める。

インタビューに応じる独デュイスブルク市の中国担当名誉顧問、ヨハネス・プフルーク氏
インタビューに応じる独デュイスブルク市の中国担当名誉顧問、ヨハネス・プフルーク氏
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 「マーシャルプランのような重要性がある」。中国担当の市名誉顧問、ヨハネス・プフルーク氏(73)は中国の進出の重要性を戦後の米国による欧州復興計画に例える。地方議員だった90年代から中国と交流し、連邦議員時代は独中議員連盟会長を8年務めた。ただ、中国の政治的影響力や軍事力の増大による警戒論の高まりは「想像しなかった」と戸惑う。

 なぜ欧州は中国にからめ捕られたのか。天安門事件には驚愕(きょうがく)したプフルーク氏だが、その後は「独裁への警戒」より「開放政策で発展する大国との好印象の方が強かった」と振り返る。

 冷戦後、中国が政治的にも自由化するとの期待は欧米に共通し、ドイツも中国と経済的な関係を強化し、独政府高官が独中を「特別な関係」とも評した。欧州各国もドイツを追うように対中関係を深めた。

 その中国は自由化に向かうどころか、今や覇権を争う構えをむき出しにする。

 「中国は政治家も市民も民主主義への不信を公然と語り、欧米に見せる顔を変えた。もう欧州も中国が適切に変革し、既存の多国主義の枠組みに従うとは考えていない」。ベルリンの「メルカトル中国問題研究所」のヤン・バイデンフェルト氏はそう解説する。

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 問題はその対処だ。欧州連合(EU)も中国への警戒を強めるが、各国で脅威認識に温度差があり、ファーウェイ排除や追加関税で中国に強く圧力をかける米国と足並みはそろわない。同氏は、中国市場に魅力を感じる傾向が経済界では大勢で、「米国が試みる中国経済との『切り離し』を欧州はできない」と語る。

 独シンクタンク「ジャーマン・マーシャル基金」のヤン・テヒャウ上級研究員はこの状況に、欧州では「多くの人が(民主主義など)欧米モデルが生き残れるかという世界秩序の問題だと理解できていない」と嘆き、米国との連携や協調の必要性を訴えた。(独西部デュイスブルク 宮下日出男)

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