PR

旧日本海軍・高雄警備府を初公開 台湾海軍が今も当時の建物使用

PR

現在も台湾海軍が使用する旧高雄警備府(田中靖人撮影)
現在も台湾海軍が使用する旧高雄警備府(田中靖人撮影)

 台湾の国防部(国防省に相当)は2日までに、南部・高雄の海軍左営基地内に残る旧日本海軍・高雄警備府の建物の取材を産経新聞に認めた。建物は現在も台湾の海軍が使用しており、内部の取材は記録に残る限り内外の報道機関を通じて初めてという。

 警備府は横須賀など「軍港」に次ぐ「要港」の管理・兵站組織。台湾の海軍司令部が2016年に出版した左営基地の歴史に関する書籍「鎮海靖疆」によると、旧日本海軍は1940年(昭和15年)、南進の拠点として漁港だった左営を海軍基地に拡張する工事を開始。43年(同18年)4月、台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島の馬公から警備府を高雄に移した。高雄警備府の下には海兵団や航空戦隊、病院などが置かれ、将兵約8000人が勤務した。

 基地は終戦で国民党政権が接収。警備府の建物は49~54年に「海軍総司令部」となり、現在は海軍の戦術の考案や訓練の教本を作成する「教育訓練・準則発展指揮部」が使用している。旧軍の建物を現在も国防部で使用しているのは台湾で唯一とみられる。

 建物は地上2階(一部3階)地下1階建てで、延べ床面積約6000平方メートル。室内への直射日光を避ける外廊下式で、71部屋の間取りはほぼ当時のまま。玄関には日本本土から運ばれたという飾り用の石材が用いられ、正面ホールに一歩入ると外気より気温が低く感じられた。階段の手すりは木製で、洋風の電灯と合わせて優雅な趣すら感じさせる。

 同指揮部の唐華指揮官(中将)は「風の通りが良い上に、高い天井のおかげでストレスを感じにくい。排水など細かな部分が工夫されている」と話す。2階の唐氏の執務室は、高雄警備府司令官が使用していた部屋とみられる。

 同指揮部は今年が創設70年に当たり、昨年9月から建物内部や日本の国立公文書館の資料の調査を行ってきた。天井裏から「昭和16年」と印刷された布地が見つかったことから、建物の建築年は41年と推定したという。

 建物の周囲には亀のような外観をした防空壕(ごう)が20カ所近く残っている。建物脇から当時の滑走路と埠頭(ふとう)をつなぐ地下道の跡も見つかった。調査結果は映像にまとめ、今年8月をめどに公表する方針だ。

 

 左営では一般人の立ち入り制限がない基地の外側にも日本統治時代の建築物が残る。旧日本軍の官舎群は、後に中国大陸から来た将兵とその家族が暮らす「眷村」となった。中でも「明徳新村」と呼ばれる地区は高級将校の官舎が多く、大戦末期に高雄警備府の主計将校だった中曽根康弘元首相が住んでいたとされる家屋もある。

 台湾各地の眷村の多くは台湾の庶民が暮らす外界と隔離され、中国大陸の各地から集まった人々による特殊な「眷村文化」が醸成された。左営でも、高雄市が住宅の一部の保存を進めているほか、文化・観光施設とする動きもある。(高雄 田中靖人)

この記事を共有する

おすすめ情報