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【秘録金正日(9)】死亡当夜、平壌から3機のヘリ 看取ったのは「経験不足」の医師、記録が隠した“不都合な真実” 

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死亡当夜、平壌から3機のヘリ 看取ったのは「経験不足」の医師、記録が隠した“不都合な真実” 

秘録金正日(9)更新

 金日成(キム・イルソン)の死因について、米国政府は「ハートアタック(心筋梗塞)以外で死んだという証拠は、どこにも見当たらない」(当時の副大統領、アル・ゴア)とした。ところが、巷間(こうかん)では、「息子の金正日(ジョンイル)が怒らせたために心臓発作を起こし、治療措置を取らせなかったから死んだ」という噂が消えなかった。

 「米朝高官協議(ジュネーブ)が行われ、南北首脳会談も目前に迫った“1994年7月8日の急死”というのは、(会談に反対した金正日にとって)あまりにタイミングがよすぎる」(当時の米中央情報局=CIA=長官)からだ。そこで、北朝鮮は金日成の秘書室責任者だった全河哲(チョン・ハチョル)の「記録」を公開した。

原因は「熱い風呂」

 それでも、父の死に金正日の関与があったのではないかという疑惑はくすぶり続けたが、最近、死の謎を解く証言が浮上した。

 CIAで26年間、北朝鮮情報を担当したマイケル・リーによると、金日成の2番目の夫人、金聖愛(ソンエ)からオーストリアに住む娘の金敬進(ギョンジン)への通話内容にこんな会話が確認されたという。

 「お父さん(金日成)は、(韓国大統領の)金泳三(ヨンサム)との首脳会談の準備や会議のため、疲れていたのよ。その日(7月7日と思われる)の夜、お風呂に入ったけど、熱いお湯につかったのがよくなかったみたい。そこで、大変なことになったのよ」

 全河哲の記述に嘘がなければ、金日成は7月7日午後10時過ぎから翌8日午前2時までの3時間余りの間に死亡した。だが、心臓発作を起こしたときにそばに誰がいたのか、いつ発見され、どのような措置が取られたのかという核心部分について、記録は一切、触れていない。

 7月5日から死亡時刻までをつづった全河哲の記録は、金日成の動静を「意図的」に省略している箇所と何時何分と、詳細に時刻を記している箇所が見受けられる。記録は、金日成の秘書室が文案を作り、朝鮮労働党宣伝扇動部が検閲した後、金正日の許可を得て発表された。

 金日成が「死の直前まで人民生活を心配して休むこともできず、過労で亡くなった」というストーリーに沿っているが、興味深いのは、配給の途絶や電力事情の悪化など、負の側面を包み隠さず記していることだ。逆に国民周知の事実をさらすことで信憑(しんぴょう)性を担保し「都合の悪い真実」を隠しているとも読み取れる。

細事にこだわり

 7月になると、金日成は避暑のため、北部両江道(リョンガンド)の三池淵(サムジヨン)別荘で過ごしていたが、死亡した94年の夏は息子の反対を押し切り妙香山(ミョヒャンサン)別荘を使うことに決めた。

 金日成は、韓国情報当局が確認しているだけで当時、24余りの専用別荘を持っていたが、外国の要人と会うときは、主に平壌から約130キロの妙香山別荘を用いた。90年9月に訪朝した元自民党副総裁、金丸信と長時間の会談をしたことで知られる場所だ。

 三池淵や妙香山といった金日成お気に入りの別荘は、北朝鮮最高クラスの医療施設を完備し、専門医が待機する。なのになぜ、金日成を救えなかったのか。

 北朝鮮政権内の動きは、細部に至るまで金正日と無関係といえるものはない。党宣伝扇動部で金正日に仕え、その後に脱北した元高官の手記『傍らで見た金正日』には、幹部用アパートの割り当てまで、金正日の裁可を受けていた事実が記されている。

 拉致され、7年2カ月間、金正日の別荘を転々として過ごした韓国人女優の崔銀姫(チェ・ウニ)は、金正日から毎年誕生日を祝ってもらったが、「特別待遇は私だけではなかった。幹部や元老、利用価値のある人たちに毎年贈り物をし、誕生日を祝ってあげる事実を後に知った」と手記に書いている。

 「例外」もあったことを韓国に亡命した党書記、黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)が証言している。彼の長男は、金正日の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)のめいと付き合い、妊娠させた。悩んだ末、黄長●(=火へんに華)が金正日に打ち明けると、「若い者が離れられないと言うのをどうするんですか。結婚させましょう」と「うわべは賛成したが、内心は反対していた」(黄長●(=火へんに華))。なぜなら、「党書記の子息の結婚に贈り物をするのが通例だったが、息子の結婚には何も贈ってこなかった」からだという。

 金正日は、幹部同士が姻戚となり派閥ができるのを警戒して、幹部の子供同士の結婚を禁じており、これを破った腹いせであることは明らかだった。金正日は太っ腹に見せかけて、「冷徹」に細事まで自分の思う通りに決めないと気が済まない男だったのだ。

「24時間監視」

 北朝鮮の公式文献には、金正日がいかに親孝行であったかを賛美する記録が多い。朝晩、主治医に父の持病について電話で確認、定期的に医療チームを執務室に集め、父の健康状態をチェックし、食事のメニューにも口を挟んだという。

 一方で、マイケル・リーは「金正日は、父の私邸、執務室に盗聴器を設置し、最後まで24時間体制で監視していた」と証言する。

 金日成の妙香山行きに誰を同行させるべきか、警護をどうするかは金正日が決定した。当然ながら、医療チームの構成員を決めたのも金正日だ。

 最高指導者の健康管理に携わる「護衛科学研究所」出身の脱北者によれば、普段、金日成が別荘に出かける際は、6人の主治医と10人の看護師が同行するのが鉄則となっていた。金日成が患っている心臓や泌尿(ひにょう)、咽喉、肝臓、退行性関節炎など分野ごとの専門医らが随行するが、心臓専門医は94年2月に入れ替わったばかりだった。

 35年間にわたって金日成の心臓を診てきた主治医は健康状態を理由に引退し、ルーマニア留学帰りの若い医師が同行することになった。医者の差配も金正日の専権事項であったのは言うまでもない。

 細事にこだわり、誰より父の健康を気遣い、日々の健康状態を熟知していたはずの息子が父の身体を預けたのが、この「経験不足」の医師だった。この“手抜かり”は何を物語るのか。

 資料や証言を総合すると、金日成は7月7日午後10時前後に風呂場で倒れたのは確かだ。

 駐韓米軍はこの日夜、平壌から3機のヘリコプターが飛び立ち、妙香山方向へ向かった事実をつかんでいる。妙香山一帯は、在韓米軍の飛行監視区域だった。中国側の情報では、3機のヘリには、当時の人民武力部長、呉振宇(オ・ジヌ)と朝鮮人民軍総参謀長の崔光(グァン)、そして金正日一行、医療関係者がそれぞれ搭乗していた。=敬称略

(龍谷大教授 李相哲)

 【用語解説】妙香山別荘

 金日成が、高地が健康によいからと妙香山(標高1909メートル)のホラン嶺の中腹に造らせ、1984年に完成。約50万平方メートルの敷地に床面積約1万平方メートルの特閣などが建つ。平壌と専用の高速道路で結ぶ。金正日は別荘を訪れても宿泊しなかったとされる。その後、米衛星映像によって別荘の撤去が判明。金日成が愛用した別荘を更地にする決定を下せるのは金正日だけだ。