産経ニュース for mobile

【ニッポンの分岐点】日韓関係(3)“告げ口外交”の原型 歴史認識 政治決着も埋まらない溝

記事詳細

【ニッポンの分岐点】日韓関係(3)“告げ口外交”の原型 歴史認識 政治決着も埋まらない溝

更新

 1993年に韓国民主化後初の文民出身大統領となった金泳三(キム・ヨンサム)(86)は「歴史の立て直し」と称し、日本統治時代の歴史の払拭を進めた。自民、社民、さきがけ連立の村山富市内閣の閣僚発言に絡んでも日韓関係は紛糾。閣僚更迭と歴史の共同研究という韓国側の要求を受け入れ、政治的決着が図られた。だが、歴史認識をめぐる根本的な溝が埋まることはなかった。

 ◆“告げ口外交”の原型

 「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」。95年11月、当時の総務庁長官、江藤隆美の発言が日韓関係を揺るがした。記者とのオフレコ懇談の際の言葉だったが、その発言が漏れ韓国紙が報道、韓国は「妄言」と激しく反発した。

 同年8月に、村山(89)が「植民地支配に対する心からのおわび」を表明したばかり。江藤の発言に当時の韓国外相、孔魯明(コン・ノミョン)(81)は「元のもくあみになる」と感じた。

 金泳三と金大中(デジュン)時代にわたって駐韓大使を務めた小倉和夫(75)は、53年に日韓会談の日本側代表だった久保田貫一郎発言を例に日韓関係の変化を指摘する。久保田は「日本統治は韓国に有益だった」と述べ、国交正常化に向けた交渉は決裂するが、「日本の世論は発言を問題視するどころか、外務省が支持さえした」(小倉)。それから約40年、閣僚の発言に日韓双方のメディアが即座に反応し、当事者が辞任しない限り収まらなくなっていた。

 金泳三は江藤発言に対し、当時の中国国家主席、江沢民(87)と会談した際、「日本のポルジャンモリ(でたらめ根性)を直してやる」と言い放った。現大統領の朴槿恵(パク・クネ)(61)が外遊先で日本を批判する“告げ口外交”の原型ともいえた。直後に大阪で予定されていたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日韓首脳会談の開催さえ危ぶまれた。

 韓国外交官で最大の知日派とされ、外相前には駐日大使も務めた孔は、辞表を懐に金をなだめたといわれた。孔は「いつでも辞任する覚悟をもってやっていた」と当時を振り返る。江藤は結局、辞任を余儀なくされたが、日韓外交関係者によると、日本の立場も理解した上で交渉に当たった孔に対し、金が「どこの国の外相か」と非難したこともあったという。

 ◆日本の痕跡を消去

 日本統治時代に少年期を過ごした金に強い反日感情はないとみられてきた。通訳の日本語の間違いを正し、官邸でNHKの衛星放送を好んで見ては秘書官らに指示を出したともいう。

 だが、光復(解放)50年に当たる95年に旧朝鮮総督府庁舎を撤去するなど、日本の痕跡を消し去る事業を推進した。竹島(島根県隠岐の島町)にも船の接岸施設を建設。日本の反発を無視し、実効支配を強めた。

 孔は「日本に悪感情があったわけではない。阪神淡路大震災でも真っ先に援助を指示した」と金を擁護するが、小倉は「成熟した民主政権とはいえず、政権の正統性を示す上でも日本に厳しい態度になりがちだった」との見方を示す。

 そうしたなかで、95年の首脳会談に合わせ、孔が提案したのが日韓共同の歴史研究事業だ。「歴史観の統一は難しくとも、相互理解には事実の共同認識を広げていく努力しかない」との信念からだった。

 これに対し、小倉は「政治から自由であってこそ学術研究として意味がある。外交手段として共同認識を作る発想は間違いだ」と反駁(はんばく)する。「親日派の評価を含め、韓国が自国の歴史を客観視しているか」についても大きな疑問があった。

 紆余(うよ)曲折を経て97年に共同研究のための有識者会議が発足、2002~10年には共同研究が実施された。しかし、政治的に「正しい歴史」を掲げる韓国側研究者と客観性にこだわる日本側の認識の隔たりが縮まることはなく、「共同認識」とはほど遠い結果に終わる。

 ◆守るべき一線

 これに先立つ1991年には「挺身(ていしん)隊の名で朝鮮人女性が強制連行され、売春を強いられた」と事実に依拠しない朝日新聞報道をきっかけに慰安婦問題が外交問題化した。元慰安婦に対する日韓の支援者が日本に賠償を求める動きを強め、韓国世論が後押しした。

 日韓両政府は65年の日韓請求権協定で個人の請求権は消滅したとの立場を共有していた。慰安婦問題は、65年当時には「見落とされた人道問題」(日韓外交関係者)とみなされたが、補償要求は自国政府にすべき筋合いの問題だった。

 苦肉の策として日本側は「女性のためのアジア平和国民基金」という名の民間基金を立ち上げ、元慰安婦ごとに「償い金」200万円と首相のおわびの手紙を届ける方針を決める。ところが、日本政府からの補償獲得を掲げる支援団体の方針に縛られ、受け取りを拒む女性が相次ぐ。

 日本の当時の外務省職員の一人は「日本国民の血の通ったカネを受け取れないとはあんまりじゃないか」と感じたという。政府補償については「一度、認めれば、戦時徴用問題に加え、中国などへも際限なく派生する恐れがあった。請求権協定はどうしても守らなければならない一線だった」と強調する。

 これに対し、孔は「大半が公金でまかなわれているのに、日本政府が(民間という)建前にこだわったため禍根を残した」と指摘する。対応が違っていれば「韓国の団体が世界で日本政府批判を繰り返し、欧米から“セックス・スレーブ(性奴隷)”とまで非難されることはなかったかもしれない」との見方を示す。

 それでも孔は当時、韓国世論の反発の中で「韓国政府として日本に補償要求すべきでない」との姿勢を貫き、大統領の金も「日本に物質的補償は求めない」と表明していた。歴史問題では折り合わずとも、請求権協定は「守るべき国同士の約束」との認識では日本と一致していたのだ。

 慰安婦問題はその後もくすぶり続け、李明博(イ・ミョンバク)時代にも再燃。戦時徴用に絡み韓国で昨年、日本企業へ賠償を命じるという「国同士の約束」を覆す判決が続いた。日韓の実務者が守ってきた最低限の“信頼”さえも崩れようとしている。=敬称略(桜井紀雄)

                   ◇

【用語解説】日韓請求権協定

 1965年、日韓の国交正常化に合わせて結ばれた2国間協定。日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルの経済支援をすることで、両国間の請求権は「完全かつ最終的に解決された」と規定している。

ランキング