PR

隕石を巡る“叙情詩”としてのドキュメンタリー:ヘルツォーク監督が『ファイヤーボール:宇宙からの来訪者』で描きたかったこと

PR

 ドイツの映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの新作『ファイヤーボール:宇宙からの来訪者』が、Apple TV+で公開された。「隕石と人」にテーマに世界各地を巡ったこのドキュメンタリーで、ヘルツォークは科学的な検証とスピリチュアルな要素の間にさまざまな“物語”を見い出している。

TEXT BY DANIEL OBERHAUS

TRANSLATION BY CHISEI UMEDA/GALILEO

WIRED(US)

PHOTOGRAPH BY APPLE
PHOTOGRAPH BY APPLE

インド北部にあるランガル・クレーターは、はるか昔に巨大な隕石が地球に衝突した際に形成された。しかし、それが衝突によって生まれた窪地だと科学者たちが考えるようになったのは、19世紀になってからのことだった。

地面から見ると、それがクレーターであると判断することは難しい。なにしろあまりにも大きすぎて、全体を一度には把握できないからだ。とはいえ、ランガル・クレーターの中央に点在する神殿は、太古の人々がそこには特別な何かがあると認識していたことを示唆している。たとえ当時の人々に、その場所が外宇宙から来た岩石によって形成されたと知るすべはなかったとしてもだ。

隕石がもたらした影響の検証は常に科学的なものだが、そこにはしばしばスピリチュアルな要素もある。そして、これらのふたつの要素の間の緊張こそが、ドキュメンタリー映画『ファイヤーボール:宇宙からの来訪者』を突き動かすものだ。

ヴェルナー・ヘルツォークが脚本と監督を務めたこの作品の狙いは、隕石という地球外物質を理解し、それが残してきた痕跡を一つひとつのクレーターの縁をはるかに越えてすべてたどることにある。

ヘルツォークは、ケンブリッジ大学の火山学者であり共同監督も務めたクライヴ・オッペンハイマーとともに、世界中のさまざまな人物を訪ねている。研究室で隕石を夢中で調べる科学者たちはもちろんのこと、ノルウェーのオスロにある家々の屋上で微小隕石を探しまわるジャズ・ミュージシャン、オーストラリアの奥地で異世界の物語を記録している先住民族の画家、欧州の僻地にある天文台で隕石のコレクションを大事に守るイエズス会の神父といった人々だ。「すべての隕石に、それぞれ独自の物語があります」と、ヘルツォークは言う。

隕石に見いだした「語るべき物語」

『ファイヤーボール』は「Apple TV+」で11月13日に公開された。オッペンハイマーによると、ことの起こりは隕石の回収を目的とする毎年恒例の南極探検に出資している韓国極地研究所(KOPRI)を訪ねたことだったという。KOPRIに保管されている膨大な数の隕石コレクションを目にしたオッペンハイマーは、そこにはもっと大きな語るべき物語があると悟ったのである。

「太陽系の最初期と地球上の生命の構成要素を理解するうえで、これらの隕石は重要な意味をもっていると感じました」と、オッペンハイマーは言う。「隕石とは科学の面でも形而上的な面でも、わたしたちに何かを語りかける事象なのだと直感したのです」

オッペンハイマーは以前にも、火山をテーマにしたNetflixのドキュメンタリー映画『イントゥ・ザ・インフェルノ: マグマの世界』で、ヘルツォークとタッグを組んだことがあった。隕石を巡る映画をオッペンハイマーがヘルツォークに提案したところ、すぐさま決断が下された。「ほんの5秒で、わたしたちは一緒に撮ることになると確信しました」と、ヘルツォークは語る。

ヘルツォークのような映画監督にとって、隕石はうってつけの題材だ。ヘルツォークの代表作では常に、ふたつの世界がぶつかる境界的な空間を占めるものに光が当てられてきた。東洋と西洋、人間と超自然的存在、デジタルとアナログといったものだ。『ファイヤーボール』も、まさにその流儀にのっとっている。

もっと深い自然の洞察を

隕石は地域社会をかたちづくる局所的な現象であると同時に、地球全体が直面する存在上の脅威でもある。遠い過去から来たメッセンジャーでありながら、先触れとして迎えられ、不活性な物質のかけらでありながら生命の構成要素を内包している。科学の面でも精神の面でも驚異の源なのだ。そしてその点からすれば、隕石とそれを調べる人間には多くの共通点がある。

『ファイヤーボール』は表向きには科学ドキュメンタリーだが、そのような印象は受けない。「科学を巡るドキュメンタリーは意外性に欠けるのが常で、その多くはまるで授業のようなのです」と、ヘルツォークは言う。「絶対に授業のようにはならないようにしよう、単なる科学にとどまらない、もっと深い自然の洞察を提供できるようにしようと、わたしたちは話していました」

ヘルツォークとオッペンハイマーは、全編を通じて刺激的な事実を大量に投入している。一方で、さっと見せておけば十分なところもよくわきまえている(準結晶の数学的基礎なんて本当に知りたい人がいるだろうか? 特に別に知りたくはない)。

ヘルツォークのファンなら、彼独特のムードたっぷりでしばしばユーモアがにじむナレーションも楽しめるだろう。そのナレーションにかかれば、メキシコの港町は「泣きたくなるほど寂しいビーチリゾート」になるし、クレーターで日光浴する野良犬たちは「自分たちの日焼けベッドがもつ宇宙的な意味に思いいたらないほど愚かな獣たち」に変わってしまう。

地球には毎日、100トンを超える宇宙の岩石が降り注いでいる。そうした隕石のほとんどは宇宙塵と呼ばれる微細な粒子だが、ひとりの人間やひとつの地域社会、あるいは地球全体の運命を左右するほど大きなものがたまに落ちてくる。ヘルツォークの言う「すべての隕石にそれぞれ独自の物語がある」とは、つまりはそういうことなのだ。

無情な宇宙のランダムな変動が引き起こす自然現象に対して、人が意味を与えようとすることは自然であるように感じられる。物語はときおり、隕石と共に始まる。かと思えば、隕石が物語を終わらせることもあるのだ。

この記事を共有する

おすすめ情報