PR

【一聞百見】「キモカワ」…大阪万博ロゴの生みの親が明かす制作秘話

PR

受賞作のポスターを背にするシマダタモツさん=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
受賞作のポスターを背にするシマダタモツさん=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
その他の写真を見る(1/6枚)

 「キモい」「いや、かわいい」と話題を呼んだ2025大阪万博のロゴが選ばれて、およそ半年。生みの親であるグラフィックデザイナーでアートディレクターのシマダタモツさん(55)も、しばらくは戸惑ってしまうほどの取材攻勢を浴びたそうだ。そろそろ落ち着いたろうと頃合いを見計らって、会社から歩いて数分の大阪・浪速区にある事務所をたずねてみた。   (聞き手 編集委員・正木利和)

「キモい」が秘める可能性

 事務所2階の広いフロアには、いろいろ気になるものが置いてあった。扉を開くと迎えてくれるのは、色っぽいマネキン人形のエンジェルちゃん。本棚の上にはいろんな人の顔から型をとって作った人形の首が、まるで生首のように並んでいたりする。

 なぜかテーブル横にある人体の骨格模型には電球がまきついていて、卓上にはエキスポ’70太陽の塔の模型が…。インパクトが強いと思っていた受賞作のポスターも、そのなかではかすんでしまうほど。ガラクタみたいに見えるものでも、しばらくたつとなんだかアイデアの小道具のようにも思えてくるから不思議な仕事場である。

 時の人になって半年。テレビや新聞、雑誌などインタビューの申し込みが相次ぎ、何件かは断らざるをえないような場合もあった。住まいのある地元・東住吉区のご近所さんたちも喜んでくれた。「サインしてくれって。もう、地元の英雄ですわ。ご飯屋さんも掲載された新聞を貼ってくれたり。こういうところが大阪っぽいですよね」

 一昨年11月に募集が始まった2025年の「大阪万博」のロゴマークの締め切りはたった1カ月ほど。それで、事務所のスタッフや同じフロアのコピーライター、イラストレーターとチームを組み、事務所の所在地・浪速区稲荷からとった「TEAM INARI」の名で3案を提出した。「普段仕事をする感じでみんなでやろうやないかと。(最優秀作品に選ばれた)こいつは僕のアイデアですが、キャッチボールしながらみんなでまとめていった感じ」

 制作のプロセスを振り返ると、まず11のサークル(丸)を置いてみるところから始まったそうだ。そのかたちを変えていくうち「細胞」のイメージがあらわれ、それが「いのち」へとつながっていく。で、細胞に核を配置して、もう一度集めてみた。「気持ち悪いなっていうのはこのあたり」

テーブルに制作のプロセスをたどる資料を並べたシマダさん=大阪市浪速区(安元雄太撮影)
テーブルに制作のプロセスをたどる資料を並べたシマダさん=大阪市浪速区(安元雄太撮影)
その他の写真を見る(2/6枚)

 モノクロだったものに色をつけてみた。「シンプルに命の赤と会場のまわりの海をイメージした青です」。サークルが取り囲むスペースを大阪府のかたちに似せてつくり変え、細胞の核も70年万博のときのシンボルマークの花びらの数と同じ5つに減らし、気持ち悪さの解消をはかった。

 こうしてできあがった作品がロゴに選ばれ、8月に発表されると、その日のうちに会員制交流サイト(SNS)上にはさまざまな反応が現れた。「わたしSNSしてないのであれですが、いじりやすいと思われていたのならうれしいなと。わくわくしてました。だいたい、ロゴマークがここまで話題にされたことって、これまでなかったでしょう?」

 見たことのない生物を見ると警戒心が湧くのが人間という動物。無機質であるという従来のロゴのイメージが、動きのある不思議な生命体に置き換えられたことによって、「気持ち悪い」という反応が現れたのは、当然といえば当然なのかもしれない。「気持ち悪いかもしれないけど、みんな関心をもって見てくれている。それは、いつかはかわいく見える可能性を秘めているってことでもあるんです」

 シマダさんにうまくのせられたのかもしれない。でも、なるほどなれてくると案外、かわいく見えてくるから不思議なものである。

太陽の塔 強烈なインパクト

 エキスポ’70には幼いころに4~5回は行っている。「5歳でしたから、内容はあまり記憶がないですけど、建物は印象的でした。アメリカ館、ソ連館。なにより、太陽の塔はインパクトがありました。とにかく強烈で、初めて見たときは、なんじゃこれ、と」

 「『みどり館』っていうのが好きやったんです。あんなでかい映像、それまで見たことなかった。音響も素晴らしく、汽車が通りすぎる映像はすごい迫力やったんですよ」。驚いたのは、それだけではない。とにかく、人、人、人…。「なんでこんなに人多いねん」というほど会場は人であふれていた。「活気、パワーが人から伝わってきましたね」

18歳、弟子時代のシマダさん。作業中の写真(本人提供)
18歳、弟子時代のシマダさん。作業中の写真(本人提供)
その他の写真を見る(3/6枚)

 大阪生まれ、大阪育ち。もともと、モノづくりに関心があった。「中学のころは大工さんになりたかった。兄が設計の道に進み、大工さんもよく知っていて、現場でモノを作るのはおもしろそうだな、と」。高校時代にはファッションに興味をもった。「タケオキクチ、メンズビギ…。当時、デザイナーズブランドが全盛期で、ファッションの道に進もう、と専門学校に入りました」

 「入るときに悩んだんですよ。ファッションデザインかグラフィックデザインか。でも、イッセイミヤケたちがいるファッションじゃ一番にはなかなかなられへんやろ、と。それでグラフィックに進んだんやけど、合わへんかったんで、1カ月でやめました」

 しばらく、上本町にある母親の喫茶店を手伝っていたが、その店にはコピーライターやフォトグラファーたちが集まってきていて、その紹介で松江寛之デザイン事務所に入った。「カバン持ち、運転手みたいな仕事をする間に線の引きかたなどの仕事の技術を先輩から学んでいくわけです。徒弟制度みたいなものですから。弟子ですよ」。小遣い程度のお金をもらいながら勤めたが、事務所の合併話が起きたとき、違和感を覚えてやめてしまった。「21、22歳ころは、友人にごちそうになりながらミナミでプラプラしてました。良い友人をもっていたんですよ」

 その後、しばらくして松江事務所の先輩から声がかかり、百貨店の新聞広告などを作るプロダクションへ。モデルがいないときには、自分がモデルになることもあった。「1500円のジャンパーとか作務衣(さむえ)を着せられてチラシに出るんです。亡くなったうちのばあちゃんなんか、死ぬまで僕のことモデルやと思ってた」

 新聞広告ばかりでなく、ミナミのアメリカ村にある飲食店の販促にかかわったりもした。そうした経験を積んで26歳の若さで独立する。しばらくして、関西の広告制作プロダクションの仕事を外注デザイナーとして始めた。「稼がせてもらいましたねえ。余裕ができたおかげで、昔、酒をおごってもらった友人たちに『きょうは俺が出す』って。むかしの友人にはちゃんとお返ししないといけない」

 義理堅い男なのである。

人を喜ばせ自分も楽しむ

 平成10年に日本タイポグラフィ協会のベストワークを獲得して以降、受賞が続き、15年には有限会社を設立する。順風満帆といっていい。「仕事をするうえで大切やと思うのは、人とのコミュニケーション。気配りできるかどうかです。人はひとりでは何もできないと思っています。だから気配りを意識します」。それが、仕事に対する哲学のひとつ。

仕事で作った「エンジェルちゃん」と一緒に=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
仕事で作った「エンジェルちゃん」と一緒に=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
その他の写真を見る(4/6枚)

 「実際、クライアント(依頼主)に喜んでもらいたいと思うから、オリジナリティーのあるものができるんやないですかねえ」

 人を喜ばせることも仕事のうち、という考え方は、なかなかすてきだ。だから、持ち込まれた仕事もとりあえず断らずに受けてみることにしているのだという。

 「たとえば『空間のデザイン、できひんの』と聞かれたら、自分ができへんでも、『できますよ』と一回受けてみるんです。インテリアデザインだってそうです。大きな仕事でも、この人のデザインいいなあと思うインテリアデザイナーを選んで、その人と組めばええんですから。人を選んで人とつながることが大事やと思います」。できなければ、できる人をさがせばいい。その人とチームを作れば仕事を成立させることができるのだから。「気配り」はそのための大切なツールといっていい。

 そうした人間関係さえあれば、いろいろな新規開発ができるという証拠の品が、この事務所に詰まっている。かっこいいカップやソファは当たり前。金箔(きんぱく)を使っておしゃれに様変わりした何十万円もするけん玉やだるま落としといった懐かしの玩具もあった。「そうそう、会社のなかに置く受付嬢の等身大フィギュアなんていうのも作りました」

 なに? それ。

 「ノリというのか…。2002(平成14)年に、ある東京の会社の依頼でおもしろいビルサインができないか、というので、『社長室』みたいな看板を持たせたディスプレー人形をフロアごとに置いてみましょう、と。実際、社長室に番犬置いたり、社長の愛人を作ったり。とにかくマネキンを改造した1体何百万円のものを9体作って、社員がくるまでにこっそりディスプレーしてみました。そりゃ、初めて人形のディスプレーを見た社員はびっくり」

「太陽の塔」の模型を手に。誕生日が同じ岡本太郎を敬愛している=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
「太陽の塔」の模型を手に。誕生日が同じ岡本太郎を敬愛している=大阪市浪速区 (安元雄太撮影)
その他の写真を見る(5/6枚)

 事務所でわれわれを迎えてくれた色っぽいエンジェルちゃんも、実はそのなかの1体。「ほんとうに何でもやりますよ。友人の店のロゴとか。友人やからカネは出世払い。彼らが出世してくれたら、すごいカネもらえるんちゃうかな」。もちろん、NHKのドラマのポスターやかっこいいデザインが詰まった本などオフィスには「本業」の品もたくさん並ぶ。

 「基本的に自分が楽しいと思う仕事をしていれば、人にも伝わると思うんです。若い世代の人たちには、どんなことでも面白がるっていうことを大事にしてほしいと思いますね。そして、最後まで粘ってモノづくりをしてほしい」

 最後に2025年万博への期待を。

 「こいつ(ロゴ)がどれだけの数で会場を埋め尽くすか、まず興味がありますね。それから、とにかくドキドキワクワクさせてほしい。空飛ぶタクシー、乗ってみたいなあ」

しまだ・たもつ 本名・嶋田保。昭和40年2月26日、大阪市生まれ。高校卒業後、松江寛之デザイン事務所などを経て平成4年、嶋田デザイン事務所を立ち上げ独立。有限会社シマダデザイン・アートディレクター、グラフィックデザイナー。「ニューヨークADC GOLD CUBE」はじめ受賞歴多数。

この記事を共有する

関連トピックス

おすすめ情報