PR

【土佐防災日記~東北から移住して】(3)「地域の文化を守ってこそ」四万十町防災職員、中野未歩

PR

こども祭りとして行われた興津の「宮舟まつり」=高知県四万十町
こども祭りとして行われた興津の「宮舟まつり」=高知県四万十町

 来年、平成23年に起きた東日本大震災から10年を迎える。被災地は復興途上だが、当時中高生だった若者たちは社会人として活躍し始めている。そんな若者のひとりである高知県四万十町役場の防災担当職員、中野未歩さんは故郷の宮城県から移住し、次の大震災と懸念されている南海トラフ地震への備えに尽力する異色の存在だ。連載「土佐防災日記」で「教訓を生かしたい」との思いをつづる。

     ◇

 初めて四万十町を訪れたときの印象は「(南国なのに)寒い」。人口1万6615人(令和2年5月末現在)の高知県四万十町は淡路島と同程度の町総面積の9割近くが山林に覆われているのだ。そして、日本最後の清流といわれる全長196キロの四万十川が町を横断し、太平洋にも面している。こうして自然に恵まれるだけに災害のリスクも高いのだ。

 今回は、私が移住した理由の一つであるエピソードを紹介する。京大の研究室時代から関わりを持つ興津地区には1200年以上の伝統ある興津八幡神社の秋の大祭「宮舟まつり」がある。この祭りは、農村集落から神輿(みこし)、漁業集落から舟が担がれ、神輿と舟が戦う、全国的にもまれな祭りだ。神輿の天辺に載っている鳳凰(ほうおう)を舟の剣先で落とせば漁村集落の勝利となり大漁祈願、一方、舟から神輿が逃げ切れば、農村集落の勝利となりその年は五穀豊穣(ごこくほうじょう)といわれている。

 私は当然、祭りを目にする機会があると思い楽しみにしていた。しかしその年、祭りが開催されないと聞いた。私は祭りが開催されない理由を聞いて回り、祭りの開催の可能性について探り始めた。

 祭りができない理由は、高齢化により、祭りの担い手(神輿や舟を担ぐ担ぎ手は数十人にのぼる)がいないこと、漁業の衰退で大漁祈願をする雰囲気ではないこと、地区の外から担ぎ手を募集しても、地域住民らの祭りではないという違和感の声がある-などさまざまだった。

 私は防災がきっかけで興津地区と関わり始めたものの、防災以上に地域で守るべき大切なものを見過ごし、地域防災を進めることに疑問を持ち始めた。日常の暮らしが大切に思われてこそ、それを守ろうとする地域の防災力も向上するのだと感じた。

 こうして祭りのことを調べるうち、「何もない」、「限界だ」という地域の声にひるむことなく、祭りを復活させようと奮闘する若い住民との出会いに、この地の魅力を感じ始めた。

 よく「遠い東北から、一体何に魅力を感じ、移住したのか」と聞かれる。とにかく四万十町では、ひとが前向きで、面白いコトがいつもどこかで動いている。「ひとに魅せられたんです」私の答えはいつもそう決まっている。(町職員 中野未歩)

     ◇

 なかの・みほ 平成5年宮城県石巻市生まれ。23年東日本大震災で被災。関西学院大卒後、京都大防災研究所(修士課程)。31年四万十町役場職員。

この記事を共有する

おすすめ情報