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三重・斎宮跡で宮殿跡か 26日午前に現地説明会

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近鉄山田線近くで見つかった斎宮の中心建物跡とみられる発掘現場(中央)=明和町
近鉄山田線近くで見つかった斎宮の中心建物跡とみられる発掘現場(中央)=明和町

 三重県明和町の国史跡・斎宮跡で、これまで不明だった飛鳥時代後半(7世紀後半から8世紀初頭)の中心施設の宮殿跡とみられる塀跡と掘っ立て柱建物跡を補強する柱穴類が見つかったと、同県斎宮歴史博物館が発表した。同館調査研究課の大川勝宏課長は「中央集権国家の樹立を目指す天武天皇による斎宮の造営の成り立ちを探るうえで貴重な発見」と話している。26日午前10時半から現地説明会が開かれる。

 これまでは奈良時代以降の建物跡しか確認されていなかったが、平成30年の第193次調査で初めて斎宮中心の内宮に近い初期段階の方形に区画された塀や建物跡が見つかり、今回の第197次調査でさらに宮殿跡を裏付ける門や左右対称の両脇殿と推測される建物跡も見つかった。

 調査は令和元年9月から近鉄山田線近くで実施。前回見つかった北東角の塀跡からさらに南に約30メートルの塀跡が見つかり、塀の囲む規模は東西に約41メートル、南北に約55メートルあったと推定された。今回は塀の中心に幅約3メートルの門跡が見つかり、門を入った左右に東西約4・9メートル、南北約13・6メートルの掘っ立て柱建物跡が2棟見つかり、両脇殿のような形で配置されていることが分かった。

 これにより塀は斎王の居館か中心的祭祀(さいし)の場であった宮殿を囲む珍しい遺構と推測され、大川課長は「日本書紀を裏付ける発見。天武天皇の名代として遣わされた娘の大来皇女ら斎王たちがどのような暮らしをして、どのような祭祀をしていたのかを解明するうえで貴重」としている。

 斎宮は、古代から中世にかけ天皇に代わって伊勢神宮に仕えた内親王や女王らの斎王が住んだ宮殿跡。伊勢神宮から約15キロ北にあり、東西約2キロ、南北約700メートルの約137ヘクタールの広大な面積を持つ。幻の宮といわれていたが、昭和45年、団地造成をきっかけに行われた調査で、奈良時代の掘っ立て柱建物跡群や、大溝とともに、富裕層の特殊遺物が数多く見つかり、昭和54年に国史跡指定された。

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