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【一聞百見】一主婦の華麗な転身 日本の伝統芸能を世界へ 芸術文化プロデューサー・西尾智子さん(68)

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「能は一般的にはまだまだマイナー。でも、こんなすごい芸術だということをもっとみなさんに知っていただきたい」と話す西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
「能は一般的にはまだまだマイナー。でも、こんなすごい芸術だということをもっとみなさんに知っていただきたい」と話す西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
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 ひとりの専業主婦の華麗な転身といっていいだろう。関西を拠点に、芸術文化プロデューサーとして、能楽をはじめ、狂言やバレエの舞台など幅広く制作、伝統芸能の振興に尽力している。そもそも西尾さんは学生結婚をして3人の男の子をもうけ、妻、母として家族中心の生活をしていた。だが、30代から突然、バレエ界のスター、熊川哲也さんをはじめ、能楽観世流シテ方の人間国宝、梅若実玄祥(うめわか・みのるげんしょう)さんらのプロデュースをするように。「夢は実現するもの」と語る西尾さんのしなやかな剛腕ぶりとは-。(聞き手 編集委員・亀岡典子)

■新作能は悲劇のフランス王妃

 「今度、すごくおもしろいことやるのよ。誰もやっていないことよ」。西尾さんからの電話はいつもそんなふうに始まる。電話の向こうの声は華やかに弾んでいて、こちらもついワクワクする。次は、どんな斬新な舞台が生まれるのだろうかと。

 西尾さんがいままさに取り組んでいるのは、今秋、パリで行う新作能の公演の制作。フランス革命で断頭台の露と消えた悲劇の王妃マリー・アントワネットの数奇な運命を描いた現代能「薔薇に魅せられた王妃-マリー・アントワネット-」を、アントワネットが生きたフランスで上演しようという企画で、観世流シテ方の人間国宝、梅若実玄祥さんが主演する。

 西尾さんはキャストの出演交渉から劇場との打ち合わせ、スポンサー集めまで、パリ公演実現のために奔走する日々だ。「確かに大変なことばかり。でも、(梅若)先生が熱望している公演だからこそ、先生をなんとしてもパリにお連れしたい。それに、フランスの人たちが、日本の伝統芸能、能で描かれたアントワネットをどう感じるか、私自身もすごく興味があるんです」

 現在、プロデューサーとしての活動の大部分は、梅若実玄祥さんと二人三脚で行っている公演である。2人の共同作業は、平成27年、ギリシャの野外円形劇場で、古代ギリシャの長編叙事詩を原作にした新作能「冥府行(めいふこう)-ネキア-」の上演を実現させた。ギリシャ人演出家を迎えての公演は、舞台芸術に対する考え方の違いからくる衝突もあり困難の連続だった。だが西尾さんは両者の間に立って話し合いを重ね舞台を実現していった。西尾さんを突き動かしているのは、梅若実玄祥という日本を代表する能楽師の芸に対する尊敬の念であり、もう一つは、自身のあくなき好奇心であろう。

 もともと専業主婦だった。医師の妻として、3人の男の子の母として、忙しい暮らしを送っていた。興行の世界に関してはまったくの素人だった。「私の周りに有名人はひとりもいませんでした」。それがなぜ、一流アーティストの信頼を得てプロデュースをするようになったのか。

 「そうね。まさに当たって砕けろ、の精神ですね。機会は自分で作るんです」

「自分がハッピーでないと、人に喜んでいただくプロデュース業はできないですね」という西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
「自分がハッピーでないと、人に喜んでいただくプロデュース業はできないですね」という西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
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■「そんなん無理」でも動かなきゃ

 西尾さんが手がけてきたアーティストは、まさに「天才の方ばかり」。世界的なバレエダンサー、熊川哲也さん、梅若実玄祥さん、バイオリニストの葉加瀬(はかせ)太郎さん…。華麗なる人脈で、いままで誰も見たことのない舞台芸術を生み出していく。

 平成20年3月、雨中の世界遺産、京都・上賀茂神社。実玄祥さんと20世紀最高のプリマバレリーナといわれるマイヤ・プリセツカヤさんがともに舞った舞台は神秘的な美しさに満ちていた。「天才同士のコラボレーションで何が生まれるか興味があったのです。それに、きっとお互いに刺激になると思いました」。西尾さんは力強く語る。「でもね、最初思いついたときは周りの人からいつも、『そんなん無理、無理』って言われるんです。でも動き出さないことには実現するかどうかわからないじゃない?」

 現在のプロデューサー業につながる第一歩は昭和57年、自宅を開放してスタートしたカルチャーサロン「アプレ・ミディ(昼下がり)」。近所の主婦を対象に著名人を講師に迎えてのトークショー。「一流のゲストを招いてほしいというリクエストが相次ぎ、その第1弾としてお迎えしたのが作家の野坂昭如(あきゆき)さん。私が野坂先生原作の映画『火垂(ほた)るの墓』を見て感動したからなんです。ところが、どんなふうにお願いしていいかわからない。所属事務所を通すということも知らなかったんです」

 そこで西尾さんが行った方法は、マスコミ年鑑で野坂さんの電話番号を調べ、直接電話すること。かけてみると、なんと本人が出た。「一瞬、驚きましたが、会の趣旨を説明して出演をお願いすると、私の勢いに圧倒されたのか、承諾してくださったのです」。以降、作家の村松友視さん、伊集院静さんらが続々と出演してくれた。「大切なのは行動力と瞬発力ね」

 西尾さんが次に組んだ相手は世界的バレエダンサー、熊川さんだった。西尾さんは当時、42歳。抜群の跳躍力に魅せられた。「なんとしても彼のステージを作りたい」。だが「最初は相手にされませんでした」。西尾さんはあきらめなかった。ことあるごとに「哲也くん、ステージやらない?」とアタックし続け、ついに「いいよ」と承諾を勝ち取った。多忙を極めていく西尾さん。夫は「家事は手伝ってもらってもいい。でも食事だけは自分で作りなさい」とだけ言った。「私は本当に周りに恵まれている。これだけはいつもありがたく思っています」

「あきらめずにアタックすれば奇跡は起きる」と話す西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
「あきらめずにアタックすれば奇跡は起きる」と話す西尾智子さん=大阪市北区(南雲都撮影)
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■深く美しい能 多くの人に

 西尾さんはいま、日本の古典芸能、能に魅せられている。「こんな深くて美しい日本の芸術をもっと多くの人に知っていただきたくて。それがわたしの使命だと思っています」

 かつて、「能は辛気(しんき)くさい」と思っていた。「ただ思い込んでいたの。見たこともないのに」。華やかなバレエや宝塚歌劇が好きだった。あるとき、実玄祥さんがシテを勤めた「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」を見る機会があった。老体の柳の精が主人公の閑寂な趣の曲。動きの少ない、一見地味な能だ。それが西尾さんの心を打った。「とても清らかで、さわさわ、と柳の風に揺れる音が聞こえるようだった」と振り返る。終演後、楽屋を訪ね、実玄祥さんに「バレエと違ってお退屈でしたが、心にひっかかるものがありました」と伝えた。「多分、先生はあきれたと思うんです。でも同時に、はっきり物を言う裏表のない人間と思ったんじゃないでしょうか」

 実玄祥さんとの初仕事は新作能「伽羅沙(がらしゃ)」。戦国時代の悲劇の女性、細川ガラシャを主人公に音楽にパイプオルガンも加えた斬新な能で、平成9年に実玄祥さんによって初演。この作品に興味を持った西尾さんは「ぜひ関わりたい」と、自身のプロデュースで上演にこぎつける。「わたしのアイデアでソプラノ歌手を登場させ、賛美歌風の要素も加えてガラシャゆかりの大阪の教会で上演したのです。おかげさまで評判を呼びました」

 この仕事をきっかけに、二人三脚の旅が始まる。西尾さんは実玄祥さんを、宝塚歌劇やミュージカル、バレエ、劇団☆新感線などさまざまな舞台に連れ出した。刺激を受けた実玄祥さんは、さらに斬新なコラボレーションや新作能を創造していく。それが、世界的プリマ、マイヤ・プリセツカヤさんとの京都・上賀茂神社でのコラボや、大阪能楽会館で行われたパリ・オペラ座バレエ団のスター、マチュー・ガニオさんとの競演、そしてギリシャの野外劇場で上演された新作能「冥府行(めいふこう)-ネキア-」につながっていく。

 「先生も私も、新しいことをしたいという気持ちは共通していました。人間としての相性もよかったんだと思います」。実玄祥さんも「西尾さんは僕に新しい世界を見せてくれる。この人とならやっていけると思った」と全幅の信頼を置く。「こういう仕事をしていますといろんな困難がある。でも、わたしが心がけているのはいつも女性に好かれる女性であること。そして、他人の幸せを喜べる人間であること。それが女性が人生を歩んでいく秘訣(ひけつ)かもしれない」

 そんな西尾さんに、これからの夢を聞いた。「夢ってないのよね。いつも、いまがすべて。その積み重ねが明日につながると信じているの」

     ◇

【プロフィル】西尾智子(にしお・ともこ) 昭和26年、福井県敦賀市生まれ。57年、主婦のためのカルチャークラブ「アプレ・ミディ」を結成。63年にバレエ公演を初プロデュース。平成4(1992)年、芸術文化をプロデュースする有限会社「DANCE WEST」を設立。平成15年、きらめき賞(大阪市)、29年、京都府文化賞功労賞。

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