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G20閉幕翌日に急死…W20共同代表、吉田晴乃さんが伝えたかったこと

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「WOMEN」講演するG20のエンゲージメントグループ「W20」共同代表の吉田晴乃さん=1日午後、大阪市北区のザ・リッツカールトン大阪(南雲都撮影)
「WOMEN」講演するG20のエンゲージメントグループ「W20」共同代表の吉田晴乃さん=1日午後、大阪市北区のザ・リッツカールトン大阪(南雲都撮影)
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 経団連初の女性役員として注目され、今年6月末に大阪で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)で女性に関する政策提言を行う「W20」運営委員会の共同代表としても活躍した吉田晴乃さん(55)がG20閉幕の翌日に、心不全で亡くなった。パワフルなリーダーシップで日本の女性を牽引(けんいん)した吉田さんは「大阪から世界をよりよい社会に変えよう」と訴えていた。W20運営委員会の女性らはショックを受けつつも、遺志を継ぐことを誓っている。

 吉田さんは、英通信大手の日本法人「BTジャパン」のCEOとして、平成27年に女性初の経団連役員に就任。米フォーチュン誌が選出する「世界の偉大なリーダー50(2017年)」で日本人として唯一、選ばれたこともある。

 多くの女性が経済力を持ち、自分が良いと思うところにお金を投じることができれば、市場は活性化し、よりよい社会につながる-というのが持論だった。

 3月にはW20共同代表として女性に関する政策提言をまとめ、亡くなる前日の6月29日にG20の政府主催イベントで、「女性が経済的にエンパワーされると、持続可能な開発目標(SDGs)の他の項目も改善される」と熱弁をふるった。

 W20事務局長として吉田さんとともに働いた塚原月子さん(46)は「吉田さんが進めたのは通り一遍の女性活躍ではなかった。女性がふさわしいところにお金を投じることで経済が正しくまわり、よりよい市場が育つことを体現していた」と話す。

 吉田さんは大学卒業後、大手企業に就職が決まっていたが、直前に原因不明の大病にかかり、就職できなかった。「唯一仕事をもらえたのが外資系。移民としてカナダに渡り、ここから通信業界のキャリアパスを切り開いた」。生前の取材にそう語っていた。

自分らしく

 離婚を経験し、シングルマザーとして必死に働いたという。成果は数字に表れ、ヘッドハンティングで地位をつかむ。日本や英国など4カ国5社のICT企業で働き、日本法人のトップも務めた。

 長女の結婚を機に昨年8月、同社と経団連を退任し、英オックスフォード大大学院へ。働く女性の増加によって生まれた新しい市場規模の数値化などを研究していたという。

 吉田さんの洗練されたファッションも、魅力的だった。塚原さんは「そのファッションには、相手への深いメッセージが込められていた。曲がったことが大嫌いで、迷ったときは『吉田らしいか』を自分に問い、絶対に恥じることのない自分でいようとおっしゃるのを聞いて、身が引き締まる思いがした」という。

 W20運営委員の一人、荒金雅子さん(58)は今年3月、大阪で吉田さんの講演会を開いた。荒金さんは「男性の多い組織で嘆く女性を『相手を否定したり責めたりしてもうまくいかない。まずは自分が変わること』とあたたかく励ましていた」と振り返る。

 講演会で、吉田さんは米国の人気歌手、レディー・ガガさんの「Born This Way(この道に生まれた)」を大音量で流し、参加者らに「そのままの自分の価値に気づいて」と呼びかけた。荒金さんは「貴重なメッセージをもらった。これを私たちが引き継ぎ、前進していく」と決意を語った。

(加納裕子)

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