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迅速避難で犠牲者ゼロ 西日本豪雨から学ぶ教訓

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整備した避難路を確認する岡山県総社市下原の自主防災組織の川田一馬副本部長=6月22日、岡山県総社市(渡辺恭晃撮影)
整備した避難路を確認する岡山県総社市下原の自主防災組織の川田一馬副本部長=6月22日、岡山県総社市(渡辺恭晃撮影)

 大規模な自然災害が相次ぐ日本列島。命を守る上で重要なのが、先を見据えた早期避難だ。昨年7月に発生した西日本豪雨でも、周囲で甚大な被害が生じる中、迅速な避難によって犠牲者を出さなかった地区がある。岡山県総社市下原(しもばら)地区と愛媛県大洲(おおず)市三善地区だ。共通していたのは、事前に顔が見える関係を築き、入念な準備を進めていたことだった。

■避難経路を自主整備

 「このままではどうなるかわからん。バスを手配できないか」。昨年7月7日午前1時ごろ、総社市下原地区。自主防災組織の副本部長、川田一馬さん(70)は市の担当者や知人にこう掛け合っていた。

 同地区では、雨が激しく降りしきる中、大きな爆発音とともに地区内のアルミ工場が爆発。自主防災組織のメンバーが集まり避難を検討していた公会堂の窓ガラスも吹き飛んで負傷者が出ていた。さらなる爆発の危険性も指摘され、一刻を争う状況だった。

 結局、雨の降りしきる深夜にバスは手配できなかったが、住民らは慌てることはなかった。避難に使ったのは、住民らのマイカーと市が手配したワゴン車。2時間足らずで110世帯350人のほぼ全員が市内のスポーツ施設などに逃げることができた。

 無事に避難を終えた背景にあったのが、入念な準備だ。同地区は近くを3本の川が流れ、過去にもたびたび水害に見舞われていた。明治26年には洪水で32人が命を落とした記録も残る。

 平成24年4月、東日本大震災をきっかけに自主防災組織を結成。元来の地元住民の結びつきの強さや防災意識の高さを生かし、自主的に避難経路を整備したほか、訓練も夜間や雨中に実施するなど工夫を重ねながら続けてきた。

 また、地区内を7つの班に分け、病人や高齢者など避難時に配慮が必要な住民をリストアップ。班ごとに声掛けを行い、全員を避難させる仕組みを構築していた。川田さんは「想定外のこともあったが、危機意識を持って訓練を重ねてきた結果だ」と話す。

■要支援者を独自抽出

 下原地区の住民が避難を完了させていた7日午前6時半ごろ、大洲市三善地区は、上流にある鹿野川ダムの放流という想定外の事態に直面していた。毎秒約3700トンという過去最大の水量だった。

 自治会長の窪田亀一さん(75)は指定避難場所の公民館も危ないと判断。2次避難場所としていた高台の変電所に移動した。

 高齢者や障害者は車で何度も往復して運んだ。ダム放流後に地区を流れる肱川(ひじかわ)が氾濫。公民館の玄関付近まで水が到達したが、そのときには避難を終えていた。住民約870人の地区で80棟以上が浸水したが、犠牲者は出さなかった。

 同地区では、28年夏ごろから、安全な経路や避難のタイミングを記した独自のハザードマップを作製。下原地区と同様、老老介護の家庭や足が悪い高齢者といった支援が必要な住民と、支援する住民をあらかじめ書き込んであった。

 防災意識と備えで災害を乗り切った両地区。西日本豪雨から6日で1年を迎えるのを前に、総社市下原地区の川田さんは強調した。

 「昔からの顔なじみで“顔が見える関係”だったのは大きな要因。だが、危機意識を持って取り組むことは、どこでもできる」

     ◇

 地域の防災に詳しい兵庫県立大の阪本真由美准教授の話「災害時には全員で声を掛け合い、避難を実現する仕組みを作っておくことが重要。西日本豪雨では、日頃から準備や訓練を積み上げていた地区で犠牲者が少なく抑えられた。下原地区の自主防災組織は、そうした備えがうまく機能したといえる。自主防災組織は全国で組織されているが、活動は各地区に委ねられているため、積極的に取り組む地域もあれば、形骸化している地域もあり、差が大きい。国や行政が自主防災組織を育成する仕組みを作っていく必要もある」

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