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【一聞百見】法王に次ぐ聖職者、ルーツは長崎 ローマ・カトリック教会枢機卿の前田万葉さん(70)

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「転ぶのも生きのびる知恵だった」と話す前田万葉さん =大阪市中央区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂(薩摩嘉克撮影)
「転ぶのも生きのびる知恵だった」と話す前田万葉さん =大阪市中央区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂(薩摩嘉克撮影)
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 ローマ・カトリック教会の法王フランシスコが11月、法王として38年ぶりに訪日する。これを助けるのが昨年、法王に次ぐ高位の聖職者である枢機卿に就任した大阪大司教の前田万葉さんだ。昨年は、自身のルーツである潜伏キリシタンの関連遺産がユネスコの世界文化遺産に登録された。祖先から受け継ぎ、自らのなかに息づく信仰への思いを聞いた。(聞き手 編集委員・坂本英彰)

     ◇

■祖先から受け継ぎ、息づく信仰

 学校で学ぶキリシタン史は16世紀半ばのフランシスコ・ザビエル上陸にはじまり、島原の乱など江戸時代初期の弾圧でほぼ終わる。しかし世界遺産としての価値はむしろその後の潜伏と復活の営みに重みがある。「250年にもわたる潜伏は奇跡だと、西欧では受け止められました」。明治になってすぐ信教の自由が実現した-と思うのは早合点だ。最後の迫害は明治初期まで続き、長崎県五島列島出身の前田さんの祖先と深く関わっている。

カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂前に立つ細川ガラシャ像 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂前に立つ細川ガラシャ像 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
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 〈幕末の1865年、長崎で在留外国人向けに建てられた大浦天主堂に信徒が訪れて神父に信仰を打ち明けた。次々と続く信仰告白に対し、幕府は3000人以上の信徒を捕らえて西国諸藩に流すなど厳しく臨んだ。明治政府も禁教政策を引き継ぎ弾圧は続く。欧米諸国の批判に屈する形で禁教政策が解かれたのは明治6(1873)年だった〉

 「久賀島(ひさかじま)で約200人の信徒が6坪の牢に閉じ込められ、そのなかに父方の曽祖父の家族9人が含まれていました。当時21歳だった曽祖父の3人の妹たちが亡くなったのです」。生きて信仰を守った曽祖父の血を前田さんは受け継ぐ。一方、平戸の牢に閉じ込められた母方の曽祖父は別の生き方を選んだ。「苦しさのあまり転んだといい、信仰を捨てたふりをして牢を出た。野崎島に帰ったが贖罪(しょくざい)の気持ちをずっと持ち続けていたそうです。同様に生きて帰った人たちと生活を切り詰め、野首(のくび)教会を建てたのです」

カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
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 世界遺産の構成資産のひとつ旧野首教会の背後にある歴史だ。前田さんは自らの先祖の営みとしてキリシタン史を聞かされ育った。「取り調べる側にしてもそんなことはしたくない。口先だけでもいいから転んだと言ってくれと、そういう状況だったようです。私自身その場に置かれたとすれば、転ばないという自信はありません。転ぶというのも生きのびる知恵だったのであり、神様が与えてくれた道だったと思うのです」

迷いに出会ったとき聖書の言葉に導かれたと話す前田万葉さん=大阪市中央区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂 (薩摩嘉克撮影)
迷いに出会ったとき聖書の言葉に導かれたと話す前田万葉さん=大阪市中央区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂 (薩摩嘉克撮影)
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■疑い、納得し、自分のものに

 「五島の果てなる北の端」とも言われる新上五島町の仲知(ちゅうち)という集落で生まれた。「父は小学校の教員でしたが、本当は神父になりたかった。だから『万葉、神学校へ行け、神父になれ』と言われて育ったのです」。前田さんは11人きょうだいの長男。「手伝いもしたが反発もしました。父に『神様って本当にいるの』と聞いたこともありました。すると父は私に『このトマスが』って言うんです。仲知でトマスというと不信心者の象徴のように言われていたんですね」

 〈トマスはイエスの12人の使徒のひとり。イエスが復活したと弟子たちは喜ぶがトマスは信じず、その後、イエスに言われるまま脇腹の傷に指を突っ込んで初めて復活を納得した。疑い深い一方、納得して深い信心を持つ人物でもある〉

 小学校を出ると父の強い希望に従い、全寮制教育施設である小神学校に入った。さらに福岡の大神学校へ進むが、信仰や進路の迷いはつきまとった。帰省の折に「なんで神学校にやった」と反発したこともあったが、一方では父を励ますほど強い信仰を示した。

前田万葉さん愛用の聖書
前田万葉さん愛用の聖書
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 父の勤務先の小学校の職員会議が一種の嫌がらせで、夏休みの登校日をカトリックの重要行事に重ねたときだ。「一種の踏み絵だ」と感じた前田さんは、悩む父に信仰を貫くよう訴えたのだという。「疑うことは悪いことではありません。疑い、納得することで自分のものになる。私もそうして、確信的な信仰を持つようになってきたのだと思います」

■常に「お言葉ですから」の心で

 教えを説く一方、自らも迷いに出会ったときに聖書の言葉に頼ってきた。とりわけ人生を導いてきたのが、ルカによる福音書第5章5節の、まだ漁師だった使徒ペトロがキリストに対して言ったこの言葉だという。

 〈お言葉ですから網を降ろしてみましょう〉

 「夜通し働いて全く魚が取れなかったペトロにキリストが、沖に出てもう一度網を降ろすように言いました。普通だと腹立たしく思うでしょうがペトロは何か感じたのでしょう。言われる通りにすると、網いっぱいの魚が取れたのです」

父に「神父になれ」と言われて育ったと話す前田万葉さん =大阪市中央区のカトリック大阪大司教区本部事務局 (薩摩嘉克撮影)
父に「神父になれ」と言われて育ったと話す前田万葉さん =大阪市中央区のカトリック大阪大司教区本部事務局 (薩摩嘉克撮影)
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 五島列島・久賀島の教会で勤務していた30歳のころ、異動命令を受けた自分とペトロが重なる。「神父の人事は何の前触れもなくコマのように動かされるんです。このときはいっそ神父をやめて漁師になろうかと悩みました。しかしペトロの言葉で踏みとどまり、命令通りに平戸の教会に赴きました」。枢機卿も青天の霹靂(へきれき)と本人が言う人事だが、「お言葉ですから」の精神で務めを果たそうと考えている。

 11月の法王フランシスコ訪日は、昭和56(1981)年に広島や長崎を訪れたヨハネ・パウロ2世以来の法王訪日となる。日本に注目が集まるこの時、前田さんは潜伏キリシタンについて世界に伝えるものがあると感じている。迫害が地域社会に与えた大きな傷痕と、それを乗り越えて許しあってきた人々の営みだ。

 「非キリスト教徒がキリスト教徒を助けたこともあった。転んだ人も転ばなかった人もいた。迫害をめぐるさまざまな人間模様のあと、人々は許しあって生きてきた。許しと和解の大切さを発信することができると思うのです」。キリスト教会も組織としては闇を抱える。聖職者による未成年者への性的虐待について前田さんは「これを正さないと教会は存続しえないというほど大事な問題」だと言う。

カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂前に立つ高山右近像 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
カトリック大阪大司教区の大阪カテドラル聖マリア大聖堂前に立つ高山右近像 =大阪市中央区の玉造教会(薩摩嘉克撮影)
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 前田さんには今春、もうひとつサプライズがあった。「令和」の出典が自らの名と同じ万葉集だったことだ。敬虔(けいけん)な信徒であり、万葉集を愛読していた亡き父に与えられた名前である。「令には神様のお告げを聞くとの意味もあり、不思議なつながりを感じます」。初夏、新緑に輝く山を見て、頬が緩むような一句ができた。

 〈山笑ふ 私も笑ふ 令和かな〉

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【プロフィル】前田万葉(まえだ・まんよう) 昭和24(1949)年、長崎県生まれ。昭和50年、福岡の神学校サン・スピルス大神学院を卒業。平成26(2014)年から大阪大司教区大司教。平成30年6月、日本人で6人目のローマ・カトリック教会枢機卿に就任。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は30年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

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