PR

【一聞百見】大泉洋を人気俳優にした伝説の番組「水曜どうでしょう」秘話 HTBカメラ担当ディレクター嬉野雅道さん(59)

PR

北海道テレビのローカル番組「水曜どうでしょう」出演を機に人気俳優となった大泉洋 =東京都千代田区、第27回橋田賞授賞式(桐原正道撮影)
北海道テレビのローカル番組「水曜どうでしょう」出演を機に人気俳優となった大泉洋 =東京都千代田区、第27回橋田賞授賞式(桐原正道撮影)
その他の写真を見る(1/3枚)

 レギュラー放送が終了して17年にもなるのに、いまなおファンの熱い支持を受ける北海道テレビ(HTB)のローカル番組「水曜どうでしょう」。新作の撮影が始まったという情報が流れればネットのトップニュースになり、今年10月にファンを集めて札幌で「どうでしょう祭」を開催するといえば、これまた大騒ぎ。その伝説の番組の「内なるアウトサイダー」に、気になるあれこれを聞いた。(聞き手 文化部編集委員・正木利和) 

■大泉洋を人気俳優にした…あの不思議映像は「失敗作」

 新作はどこでロケをしたのだろう。いきなり切り込むのは記者の性(さが)。

 「個人的には全然言ってもいいんですけど、(放送まで)ファンが知らないほうがいいだろうという人がいますから、言えないって感じですねえ…」

 いまや人気俳優となった大泉洋らの出世作でもあるこの番組を、ずっとファインダー越しに見続けてきた人である。機材は市販の民生用デジタルカムコーダ。この小さなカメラで撮影した映像が、独特の世界をつくりだす。「ラジオみたいですねっていわれることがある。どういうことだって思うんです。まあ、違和感がないってことじゃないかと受け取ってますけど」

 確かに、この番組、車中で話している大泉たちにカメラを向けず、車窓の風景だけがずっと流れてゆく映像が続くこともある。実は演者のいない映像は、ある企画でカメラを回しながら居眠りしていたことから生まれた失敗作。ところが、旅から戻って藤村忠寿(ただひさ)チーフディレクターの編集ブースをのぞくと「これおもしろい」「意外とこっちのほうがいい」と案外、楽しそうに作業をしていた。

 「実際、風景のなか声がしてくる方が緊張感なく見られるんです。いまでは大泉さんも、車のなかでカメラを向けてほしくない、話しにくいといっています」

 ファンの間で「うれしー(嬉野さんの愛称)独特のカメラワーク」といわれる手法は、こんなふうに生まれてきた。というと、どっかゆるーい人ではないか、と思うかもしれないが、実は案外、硬骨漢。

 しばらく前に文庫化された初エッセー「ひらあやまり」(角川文庫)に、社内で会議室を使って「カフェ」をしているとあった。

 「もう5年くらい…」

 聞けば、5年前に会社の組織改革があって、所属していた部が解散になり、藤村ディレクターと、現在のコンテンツ事業室に異動になった。ところが、その部屋にいると、組織を改編した張本人の顔が見えて仕方ない。「気分が悪かったんです。それと、えらい人もみんなパソコン向かってるんで、仕事が見えるんですよ。ほんとうは上が仕事してないんじゃないか、と思うところもあった。それで、私は仕事してませんということを自分で掲げてやれ、と会議室のドア開けて筆ペンで『カフェ始めました』って張り紙したんです。こんな不法占拠したらきっと総務に怒られるだろう。そうしたら言ってやろうと思った。『おめえらよりよっぽど仕事してる』って。実績あるだろ、現金も稼いでるだろって」

 ところが、ずっとほったらかされ、そのうちトップも交代。いまや、社長まで「おまえコーヒーやってんだって?」とたずねてくるようになったそうである。

■九州男児が北海道へ 実は「妻に連れられ…」

 どうして九州・佐賀のお寺の息子が、北海道でテレビ番組を作るようになったのだろう。

 東京の大学に進み、フリーで映像の仕事を始めたころはバブルと呼ばれる時代。「そのころ女房と結婚して。女房が札幌行きたいっていうんで俺がついてきた感じじゃないですかね」

 嬉野さんが31歳のとき、バイクでツーリングするのが趣味という25歳の奥さんと結婚。「彼女、札幌がとても好きで、鍼灸(しんきゅう)院を開業したいって。安請け合いしたら着々と準備してて、あの人が30歳になったとき、札幌に買えそうな中古マンションがあるって。それで越してきたんです」

 髪結いの亭主?

 「油断すると働かなくなるタイプ。でも、仕事した方が自由な時間が持てるなと思ってた矢先、知り合いがHTB(北海道テレビ)で仕事があるよっていう電話をくれた」

 自由になるために働くというところがちょっとおもしろい。「でもね、僕としてはディレクターに向いてないと思ったんですよ」

 業界は自己主張の強いイケイケの人ばかり。「私みたいなひかえめな男はいなかった。とはいえ36歳だから転職は不利だな、と思っているときに、藤村(忠寿)くんて人がいたんです。この人と一緒だったらいいなっていう人だった」。彼はざっくばらんに切り込んできた。「あんた、こんなことできないでしょと。そうやって踏み込まれると、そんなことないよって返しやすくなる。人間、いきなり踏み込まれると押し返す気持ちが自然に出る。それもコミュニケーション」

 その藤村ディレクターが作った「モザイクな夜」という番組が「水曜どうでしょう」の原形といわれる。「編集は荒削りだけど、おもしろい、と思いました」

 当時の制作部長が、その藤村ディレクターと組ませてくれたおかげで伝説の番組が生まれた。ところが、実は最初のロケを外されそうになったのだそうだ。「(番組中のサイコロ1という企画で)アン・ルイスさんのインタビューをすればレコード会社が旅費も交通費ももってくれると。ところが私を置いて3人で行くっていうんですよ。俺、どうなる。『あんた来るんだったらカメラやってもらうよ』『やるよ』。で、そっからですよ。僕は絶対おもしろい絵が撮れるっていう自信があった」

 いよいよ、「どうでしょう」の快進撃が始まる。深夜時間の放送にもかかわらず視聴率はうなぎ上り。平成8(1996)年にスタートした番組は3年後の平成11年12月に18%を超える数字をマーク。さらに、再放送が道外のローカルでも放送されるようになった。

 ところが12年、出演者の一人、鈴井貴之の映画制作をきっかけに、しばらく番組が途切れた。復活するのは翌年。企画はリヤカーを引っ張って4人で喜界島を一周しようというもの。

 嬉野さんが紙まで発注して作らせ責任編集した、番組の写真集の最後の一枚は最終回の「ベトナム」の旅ではなく、復活したときの「喜界島」の旅の写真だ。

 「撮ってた写真が好きだったからでしょうね。『水曜どうでしょう』っていう場所が好きでしたね。番組が始まってから『ここはいい場所だなあ』とずっと思ってました。そう、この写真集、ほんとうは私の家族アルバムなんです」

 ■変わらないもの 旅は続く、4人のつながりも

 伝説の番組「水曜どうでしょう」レギュラー最後の旅は、ベトナムを50ccバイクで縦断するというハードなもの。そこで嬉野さんはタレント、鈴井貴之の後部座席にまたがり撮影するという離れ業をみせる。

 「あれは緊張しました。短パンはいてミスター(鈴井)とタンデム(2人乗り)してるわけで、転倒したら終わりです。本編で使ってないけど大泉(洋)くんと藤村くん(忠寿ディレクター)の会話が残ってます。『藤村くんさあ、どうして嬉野くんはああして両手を離せるんだろう』って。ニー(ひざ)でバランスとりながら転ばないように撮ってた。そういう功名は一切触れられず、俺が大泉くんを撮らず、風景ばっか撮ってるってことで、風景好きなカメラマンってなるわけでしょ。そっちの方がおもしろいから」

 ベトナムの最後は、大泉と藤村ディレクターの涙で終わるのだが、撮影した嬉野さんはどうだったのだろう。「僕としては、大泉くんと藤村くんがああいう気持ちになってるなんてみじんも思わなかった。2人のように番組をおもしろく作るってとこに、そんなにプレッシャーを感じてない立場。通りすがりで手伝ってる感じで。特に藤村くんが号泣しちゃったっていうのはいろいろな感情がこの6年間につまってて出どころがなくなった思いが一気にわーっと出てきたんだと思う。でも私の中では大して…」

 大泉がバイクの上で感無量となって無言になったときもワイヤレスマイクの電池切れじゃないかと心配したというのだから、そこはやはり内なるアウトサイダーなのだ。

 レギュラー放送を終えても番組は続いていく。ジャングル、離島、ヨーロッパやアフリカと相変わらず、視聴者が憧れる場所への旅だ。そのなかで、東京での仕事が増えた大泉を中心に、人間模様が変わっていったところもあった。それでも、嬉野さんは今回の新作で確信したのである。

 「余裕をもった旅で4人でお酒飲んだりしたんですけどね、大泉くんが『嬉野さん、またこういう旅、来年もやりましょうね』って。郷愁もあるのかもしれないけど、いままでなかったつながりみたいなものが情感をもって浮上するみたいな感じで…。若い頃の信頼感は変わってなかった」

 若い世代へのまなざしがとても温かい人だと思う。「僕、ずっと年下と仕事してるんですよ。結構、年下に面倒みてもらってるところもある。もし、若い人に慕われるとすれば、僕がいまだに悩んでいること、不安を持ってるってことが彼らにわかるからじゃないですかねえ」

 もうすぐ還暦を迎える。「ここ4、5年、その年やってたことと全く違ったことを翌年やってるんです。いまユーチューブやってるんですけど、まさかユーチューバーになるなんて去年は思わなかったし、今回、大阪に2週間ほどいたのは、藤村くんと一緒に時代劇芝居やってたから。そのなかで、僕は講釈師として講談をしています。それも全く考えていなかった。結局、いま目の前にあるものを必死でやれば、それで人生回っていくんじゃないかと思ってるんですけどね」

     ◇

【用語解説】水曜どうでしょう

 テレビ朝日系列の北海道テレビ(HTB)で平成8年~同14年に放送された深夜のバラエティー番組。鈴井貴之、大泉洋という2人のタレントと藤村忠寿(チーフ)、嬉野雅道(カメラ担当)の2人のディレクターが自動車や50ccオートバイに乗って日本や海外を舞台に珍道中をくりひろげ、ローカルの深夜番組としては異例の高視聴率をマークした。

レギュラー放送を終えたあとも、数年に一度は4人で旅にでかけて企画番組をつくり、DVDをはじめ、グッズも人気。レギュラー放送後も年20億円を稼ぎ出すといわれる伝説的テレビ番組。

     ◇

【プロフィル】嬉野雅道(うれしの・まさみち) 昭和34年生まれ。佐賀県出身。北海道テレビ・コンテンツ事業室兼編成局エグゼクティブディレクター。「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクター。著書に「ひらあやまり」(角川文庫)、「ぬかよろこび」(角川書店)ほか。

この記事を共有する

おすすめ情報