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【正木利和の審美眼を磨く】中国マネー、文人画の巨匠・鉄斎もターゲットに

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富岡鉄斎「乗瓢浮海図」
富岡鉄斎「乗瓢浮海図」

 富岡鉄斎(1836~1924年)の絵を、本人の言に従って見るとすれば、当世の人々は苦労をするに違いない。

 「わたしの絵を見る前に、まず賛を読んでほしい」

 それが文人画の巨匠の願いだった。

 「賛」というのは文人画の画中に書き入れる詩歌や文章を指す。ところが、鉄斎の書は達筆すぎて、何という字なのかわからないことが往々にしてある。

 仮に文字の解読ができたからといって、そこで喜んでいてはいけない。その意味を辿(たど)るのに、また一苦労を要するのである。

 たとえば、縁あってやってきたこの絵。「乗瓢浮海図」という画題で、孫の益太郎の箱がつく。

 その賛の「大丈夫之胸中洒々落々」までは読めたのだが、左上の最初の文字は何なのか…。

 スマートフォンを操りながら、検索をしてみるとどうやら「何有一毫動心哉」のようである。

 その瞬間、ピンとくるものがあった。

 かつて求めた「寒山拾得」というふたりの風狂僧を描いた絵の賛に少し似ている。月をあおぐふたりの僧に添えられた賛は、「大丈夫之胸中灑々落々宛如光風霽月何有一毫之動心哉」(立派な男の胸中は、日中の風、雨上がりの月光のようにわだかまりがない。どうして動揺する心を持ち合わせようか)。西郷南洲(隆盛、1828~77年)の遺訓に引かれた、明の王耐軒筆疇の文である。

 結局、その中の文を省略して書いたものだとわかった。

 いやはや、解読には手間がかかる。

 しかし、こうやって正解にたどりついたとき、その絵はより親しく、味わいのあるものに見えてくるから、不思議なものだ。

   □    □

 もう一枚と同じ賛であるということは、絵が呼び合ったのだろうか。いずれにせよ、縁があったということにちがいない。

 それにしても、こうしたおおらかな絵を見ていると、なんと自分の器のちっぽけなことよ、と気づかされ、つまらないことにこだわらずに生きたいものだ、と思う。もちろん、そんなことはまったくもって無理な話なのだが。

 まあ、そうした思いを抱かせてくれるだけで、たとえそのとき財布がぺちゃんこになろうとも、絵をもった意味はあると思う。

 それが鉄斎の絵である。

 鉄斎の絵については、評論家、小林秀雄(1902~83年)にまかせるしかあるまい。なんせ、4日間、宝塚の寺にこもってそれを見続けた人である。

 《ワカガキだけでも、よく覚えぬが、殆(ほとん)ど二百点近くあったろう。早朝から坐(すわ)り通し、夜はヘトヘトになり、酒を食らって熟睡した。何一つ考えず、四日間ただ見て見て、茫然(ぼうぜん)としていた》(「鉄斎II」より)

 よくもまあ、飽きずに見たものだと思うが、その集中力が小林らしい。その小林が書く鉄斎絵画の神髄は、以下の通りだ。

 《鉄斎のワカガキを沢山(たくさん)見ていると、実のところ、何が何やら解(わか)らなくなる。いろいろな流儀を試みているのだが、企図された筋道という様(よう)なものはてんで辿れない。(中略)気紛(きまぐ)れで、のん気でいて、性根を失わずと言った風なもので、要するに、この将来の大画家は、大器晩成という朦朧(もうろう)たる概念を実演している様なもので、当人も志は画にはないと言っているのだから致し方がない。ところが、画は年とともに立派になって行く。鉄斎という人間が何処からともなく現われて来る》(同)

 《そして勝利は八十台になってきた》(「鉄斎I」より)

 衰えることなく、年を重ねるごとに冴(さ)える仕事。その意味で、鉄斎は葛飾北斎と並ぶ日本画壇の巨人といってもいい。

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 「その鉄斎の絵が、近ごろ中国の人に人気が高いようです。先日もいくつか買わはった人がおられました」という話を京都の古美術商から聞いた。

 いよいよ、きたか。

 中国マネーが鉄斎を狙ってくるのは、ある程度、予想できることではあった。

 かつて、日本では呉昌碩(1844~1927年)や斉白石(1864~1957年)といった清朝末の文人画が中国画の通人たちにもてはやされた。

 呉は中国近代を代表する芸術家で、彼の絵、書、篆刻は、いずれも超のつく一級品ばかり。斉もまた同様である。

 なかでも清代最後の文人といわれる呉は、同じ文人ということもあり鉄斎とは国を越えた友誼で結ばれ、自ら刻んだ印を贈ったりもしている。

 それゆえ、文化大革命で失われた自分たちのアイデンティティーを求め、市場に出回る文人画を買いあさる中国の人々が、日本の文人画の巨匠である鉄斎に目をつけ、そしてそれをほしがるのも当然といえば当然のことであろう。

 呉や斉が日本に買われたきたように、鉄斎が中国に買われてゆく。

 それはそれで、日中の文化交流の一側面であるに違いない。

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 もちろん、中国・宋代の政治家であり文人でもあった蘇軾(東坡=1031~1137年)に憧れ「東坡同日生」といった印まで作った鉄斎のことだから、仮に生きていたところで自分の作品が中国の人々に買われていくことなどまったく意に介することなどないだろう。

 しかし、いま日本の市場では文人画が比較的低い相場で取引されている。

 そこに巨大な中国マネーが入ってくると、グンと値上がりしてしまい、鉄斎もわれわれの手の届かないところに行ってしまうのではないか。

 それが何より気になっている。

     ◇

 【プロフィル】正木利和(まさき・としかず) 産経新聞文化部編集委員。入社はいまはなき大阪新聞。産経新聞に異動となって社会部に配属。その後、運動部、文化部と渡り歩く。社会人になって30年強になるが、勤務地は大阪本社を離れたことがない。その間、薄給をやりくりしながら、書画骨董から洋服や靴、万年筆に時計など、メガネにかなったものを集めてきた。本欄は、さまざまな「モノ」にまつわるエピソード(うんちく)を中心に、「美」とは何かを考えながら、つづっていこうと思っている。乞うご期待。

 

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