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コートに立つ時間をより濃く バレー・栗原恵インタビュー(4)

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栗原恵さん
栗原恵さん

 --バレーボール全日本女子のエースとして出場した2004年アテネ、08年北京の両五輪はともに5位。12年ロンドン五輪のときは代表落ちを経験しました

 栗原 左膝にけがをして、ロンドン五輪前のワールドカップ代表に選ばれませんでした。高校生のときからずっと全日本の背番号「1」をつけているのが当たり前だったので、すごくつらかったです。

 --大きな挫折だったのですね

 栗原 大きかったですね。一度、全部失ったという気持ちでした。全日本でプレーできなくなったとき、自分に何が残るのかとすごく落ち込みました。でも、肩の荷が下りました。その後、岡山シーガルズに移籍したのですが、初めて純粋にバレーをやろうと思えました。

 --岡山でバレーに打ち込めたのはなぜですか

 栗原 三田尻女子高(現誠英・山口)を卒業するときから毎年のように入団のお誘いをいただいていたチームなので、必要とされているなら頑張ろうと思っていました。

 --2度出場した五輪は特別な舞台でしたか

 栗原 特別であることは間違いないと思います。でも、結局、どんな試合でもやることは変わらないんですよ。準備をして最大限のフォーカスをする。五輪には魔物がいると思ってしまうと、実際よりも大きく見えてしまうものだと思います。

 --来年の東京五輪については、どのように考えていますか

 栗原 難しい質問ですね。選手をやっている以上、まったく目指しませんという発言はおかしいので、何らかの形で関われれば幸せかなと思います。

 --現役引退の決断は、百パーセントやり尽くしたと思えるときでしょうか

 栗原 昨年のJT入団の前にバレーはやりきったという思いがあったので、いつやめても後悔はないです。ただ、今はコートに立てる時間を大切に、より濃いものにしていきたいです。

 --引退後のビジョンはすでにありますか

 栗原 バレーがあって今の自分があるので、何かしらの恩返しはしていきたいです。まだ明確ではないのですが、そのときに見える景色の中で考えていきたいです。

 --1月に引退したレスリング女子の吉田沙保里さんは「女性としての幸せはつかみたい」と言っていました。結婚についてはどのように考えていますか

 栗原 それもタイミングだと思います。バレーも移籍するタイミングがあって続けてこられたので、結婚もそれと一緒なのかなと思います。

 --バレーとは、どんな存在でしょう

 栗原 自分のできないこと、できることを分からせてくれる存在です。私の縁は全部バレーでつながっています。この先、バレーをやってきたことが糧となって、何かできることがあるかもしれませんし、感謝し続けているものですね。

(聞き手 岡野祐己)

    

 くりはら・めぐみ 昭和59年7月31日、広島県江田島市(旧能美町)出身。小学4年でバレーを始め、中学2年のときに姫路市立大津中(兵庫)にバレー留学。三田尻女高(現誠英高・山口)からNEC入団。パイオニアやロシア、岡山シーガルズ、日立でもプレーし平成30年にJT加入。2004年アテネ、08年北京両五輪に出場。座右の銘「凜(りん)と」。身長187センチ、最高到達点307センチ。JTマーヴェラスの公式Twitterアカウント(@Marvelous_JT)

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