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代表は重圧…楽しさより使命感 バレー・栗原恵インタビュー(3)

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2年連続で春高バレーに出場した三田尻女子高時代の栗原恵さん。エースとしてチームを引っ張った=平成14年3月、東京
2年連続で春高バレーに出場した三田尻女子高時代の栗原恵さん。エースとしてチームを引っ張った=平成14年3月、東京

 --広島の旧能美町の出身。どんな場所ですか

 栗原 すごく緑が多くて、散歩に行けばすぐ海があります。海も山もある中で育ちました。校庭をはだしで走り回って、夏休みは毎日のように海に泳ぎに行っていました。自然と体を動かせる環境が整っていて、自由に育ちました。

 --中学、高校とバレーボール漬けの生活。全日本入りはいつ頃から目標にされていましたか

 栗原 小学4年のときに両親の影響でバレーを始めましたが、身長が高いからとかじゃなく、自然とバレーが好きになりました。小学校の文集には全日本の選手になりたいと書いていたと思います。

 --春高バレーにはどんな思い出がありますか

 栗原 三田尻女子高(現誠英・山口)1年のときはチーム初優勝。2年生のときは決勝(対戦相手は大山加奈選手擁する成徳学園=現下北沢成徳・東京)で負けてしまったのですが、2回ともすごく楽しかったです。でも、あの時代には絶対に戻れないと思うぐらい高校の3年間はハードでした。20代のときは全日本メンバーに選んでいただき、恵まれた環境ではあったのですが、すごい重圧の中でバレーをしていたので楽しさよりも使命感でやっていた方が強いです。

 --つらいことの方が多かったのですか

 栗原 全日本で試合に負けたら、練習をいくらやっていても、たまのオフに街を歩くと「練習しろよ」とも言われました。テレビでは笑わない選手というイメージが世間のみなさんにはあって、本当はそうじゃないんだけど、そうじゃないといけないのかなと思ったりもしました。家族や仲の良い友達の前の顔と、テレビに映ってコメントする自分は違う自分でした。私と一緒にやっていた同世代の選手はどちらかというと話しかけづらいイメージが強かったんじゃないですかね。

 --「プリンセス・メグ」と呼ばれることについて、どう感じていましたか

 栗原 全日本でチームメートだった(大山)加奈たちから「なんでメグだけプリンセスなの」とふざけて言われたりすると、ちょっと申し訳ないな、なんで私だけそういう名前なのかなと思っていました。加奈は「パワフル・カナ」というプレーに対して名前がついているのに、私はすごく弱そうだよな、と(笑)。

 --プレースタイルからつけられたニックネームなら、少しは気が楽だったかもしれませんね

 栗原 そのときは思いましたけど、今はネタになっていますし、思っていた以上に浸透しているので、いまだに「プリンセス・メグちゃんだよね」と言ってくださる方がたくさんいます。そういう意味ではすごいなと思います。

 --大山加奈さんの話が出ましたが、今でも連絡を取り合っていますか

 栗原 最近は(写真共有アプリの)インスタグラムでお互いの状況を知るぐらいで、そんなにやり取りはしていないです。加奈は東京が拠点ですが、近くにいればご飯も一緒に行きますし、同窓会も開いています。

(聞き手 岡野祐己)

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