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【虎番疾風録第2章】(52)ボク、江川と知り合いですよ

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「怪物」の異名をとった作新学院時代の江川
「怪物」の異名をとった作新学院時代の江川

 挨拶もせずに別れた「大ちゃん」こと朝潮に“再会”したのは昭和60年のことだった。神宮球場でのヤクルト-阪神戦を見にやってきたのだ。各社の記者と一緒に取材することになった。だが、だれも面識がないという。「ああ、ボク、朝潮と知り合いですよ」と名乗り出た。すると「龍一の“知り合い”は当てになれへんからなぁ」という。筆者には“前科”があった。

 54年7月20日、入社1年目の筆者は「Jr.オールスター」の取材で横浜球場に来ていた。試合は雨で中止。各社の先輩記者と一緒に、出場していた巨人・江川を取材することになった。だが、誰も江川と面識がない。そこで「ああ、ボク、江川と知り合いですよ」と名乗り出た。

 「龍一が江川の知り合いとは思わんかったなぁ」と驚く先輩たちを引き連れ、ロッカールームの中に入った。江川の顔にサッと緊張が走った。「よっ、久しぶり!」と右手を上げて声を掛けると、今度はポカンとした顔で首を傾けた。「なんや、忘れたんか? ほら、君がセンバツで広島商に負けたとき…」と説明した。

 実は48年4月5日、第45回センバツ大会の準決勝で、作新学院の江川が広島商に1-2で敗れたとき、筆者も甲子園球場にいた。江川と同じ高校3年生。高校野球期間中、産経新聞写真部でアルバイトをしていた。仕事はカメラマンから撮り終えたフィルムを集めて本社へ持ち帰る通称「ピストン」、連絡員を務めていた。そのとき、江川に出会った。

 ちょうど囲み取材が終わったのか、長いすに一人で座っていた。そっと近づき江川の肩に手を置き「ナイス、ピッチ」と声を掛けた。「ありがとうございます」「夏があるやん。待ってるで」「はい、頑張ります」。記者だと思ったのだろう、江川は敬語だった。

 「あぁ、あの時の…」「ほんまは思い出してへんやろ? 調子ええやっちゃなぁ」と言ったとたん「アホ!」と後ろから先輩の声が飛んできた。「そんなもん、覚えてるわけないやろ。ようそれで“江川と知り合い”やというたな。お前の方が調子ええわ」。ロッカールームが笑い声で包まれた。江川もつられて笑っていた-と、こんなことがあったのだ。

 「ほんまに朝潮と知り合いなんやろな?」と、まだ疑う仲間の記者を引き連れ、筆者は神宮球場のネット裏に向かった。

=敬称略 (田所龍一)

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