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豊臣六大将・佐竹義宣氏邸宅か 大坂城西側で出土

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発見された、常陸国を治めた大名で豊臣家臣の佐竹義宣の屋敷とみられる跡。中央奥に見えるのは大阪城=20日午後、大阪市中央区(寺口純平撮影) 
発見された、常陸国を治めた大名で豊臣家臣の佐竹義宣の屋敷とみられる跡。中央奥に見えるのは大阪城=20日午後、大阪市中央区(寺口純平撮影) 
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 大坂城の建物跡としては最大規模となる大名屋敷跡が大阪市中央区の建設現場から出土し、大阪府文化財センターが20日、発表した。出土した瓦の紋=扇(おうぎ)に月丸(つきまる)紋=などから、徳川氏や島津氏などと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる佐竹義宣の屋敷跡と推定される。大坂城の大名屋敷跡が見つかるのは初めて。難攻不落とたたえられた大坂城を壮観な大名屋敷が守る情景が明らかになった。

 豊臣秀吉が築城した大坂城の西側の三ノ丸があったとされる場所で出土。東西約20メートル、南北約15メートルで100坪を超える。柱を支える礎石や建物の周囲を囲う玉砂利が見つかり、格式の高さをうかがわせる。

 周辺では「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や佐竹氏の家紋瓦などが出土。その場所から、屋敷の敷地範囲は東西約150メートル、南北約100メートルと想定され、大型建物跡はその中央に位置する。

 秀吉は最晩年の慶長3(1598)年、東国諸大名の屋敷を京都の伏見城から大坂城に移し、大坂城の守りを固めた。大阪歴史博物館の大澤研一学芸課長は「大名屋敷群の様子を伝える史料は乏しい。今回の発見は具体的事例として初めてであり、非常に重要」と話す。

 現地説明会は23日午前10時~午後3時。問い合わせは現地事務所(06・6467・4769)。

 千田嘉博・奈良大教授の話「大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿だろう。豊臣時代の大名屋敷がこれほど大きかったとは驚いた。天下人の政権の力を示す感動的な大成果だ」

 

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