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【竹島を考える】挑発的な韓国に取るべき「大人の対応」 下條正男・拓殖大教授

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ソウル市内で3月1日に行われた「三・一独立運動」から100年を迎える記念行事。挑発的な行動が目立つ韓国にはどう対応していくべきか(聯合=共同)
ソウル市内で3月1日に行われた「三・一独立運動」から100年を迎える記念行事。挑発的な行動が目立つ韓国にはどう対応していくべきか(聯合=共同)
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 韓国では文在寅(ムンジェイン)大統領が政権の座について以来、対日政策が過激になった。その中で2月22日、14回目の「竹島の日」の式典が松江市で挙行された。

 最近の韓国では、火器管制レーダー照射事件や「慰安婦合意」の破棄、国会議長による天皇陛下に対する不敬発言など、日本側識者からは「韓国は国家の体をなしていない」との声が漏れるほど挑発的になった。

「がんばりましょう」ではないはずだ

 日韓関係をここまでにしたのは、日本側も大人の対応がとれなかったからではないだろうか。だが、その大人の対応とは、韓国に対して経済制裁で臨むことでも、改憲によって日本が軍隊を持つことでもない。戦略がないまま改憲を急ぐことは、不用意に韓国側を刺激するだけである。それでは日本も「国家の体をなしていない」と批判されかねない。

 改憲を急ぐ理由として、現行の日本国憲法は「敗戦国日本が外国から押し付けられた」とする論理がある。だが押し付けられたのは、憲法だけではないはずである。憲法を改正しようとする「議会民主主義」もまた、与えられたものだ。その議会民主主義の中で、近年、問題となっているのが国会議員の資質である。

 「竹島の日」の式典に参席した国会議員の先生方の多くの常套(じょうとう)句が、「皆さんがんばりましょう」であった。今回も「式典にお招きいただき…」とした人士がいた。この若手の国会議員の先生には、竹島問題が国家主権に関わる問題だという認識が、希薄なのであろう。少なくとも国費を使って島根県に来るのであれば、「がんばります」と挨拶(あいさつ)しなければならないはずである。

 「竹島の日」は、国民世論を盛り上げるための「北方領土の日」とは違って、竹島の領土権確立を目指す日だからである。それも2005年3月、島根県議会が「竹島の日」条例を制定しようとしたとき、それを阻止しようと圧力をかけたのは日本政府だ。「悪夢」を見せられ続けているのは島根県も同じである。

国民世論の高まりを生かせない日本政府

 島根県議会が制定した「竹島の日」の究極の目的は、「竹島の日」をなくすことである。それは「竹島の日」の式典に首相が参席し、「竹島の日」を県の事業から国家事業に昇格させることでもない。「竹島の日」が「北方領土の日」と違うのは、韓国との問題を解決しようとしている点である。そこで島根県が設置した竹島問題研究会が目指したのは、韓国側の竹島研究に対する批判と論破である。

 その結果、竹島問題研究会が報告書を発表するごとに、韓国側では研究会の存在を無視できなくなっている。島根県が「竹島の日」を制定する以前の韓国は、「日韓の間には領土問題は存在しない」として、「静かな外交」を標榜(ひょうぼう)していた。

 それが今では、韓国側の方が「歴史問題」だとして大騒ぎしている。特に文政権となって、その傾向が強くなった。その異様さは、われわれのような一般国民にも分かるレベルである。

 韓国側の反応を受け、日本政府が盛り上げようとしなくても、日本の国民世論は十分に盛り上がっている。この国民世論の高まりを日本政府が生かすことができず、国会議員の先生方がひとごとのように、「がんばりましょう」と挨拶しているようでは、解決できる問題も、迷宮入りさせてしまう。

 安倍政権の中には、韓国側の傍若無人の振る舞いに対して、大人の対応をとって無視すべきだとする人士もいるようだが、それは児戯にも等しい発言である。今こそ日本は、大人の対応をとるべきだが、その大人の対応とはどのようなものなのか。

韓国側が送り付けてきた資料

 今回の「竹島の日」と関連して、韓国側には2つの特徴的な動きがあった。1つは、竹島を韓国領としていたとする『実測日清韓軍用精図』を公開した人物が、それをカレンダーにして日本の国会議員に送る-と、韓国で報じられたことだ。その翻訳は、独島(竹島の韓国側呼称)研究家の保坂祐二氏が担当したとして、韓国のネット上で話題になっていた。

 もう1つは、韓国の反日運動家の徐敬徳(ソギョンドク)氏が、超党派議員でつくる「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の新藤義孝会長宛てに、抗議の書簡とともに、竹島に関する勉強をするようにとして、『日本人が知らない独島10の真実』(東北アジア歴史財団)を送ったとするニュースである。

 だが、『実測日清韓軍用精図』と『日本人が知らない独島10の真実』については、すでに島根県の「ウェブ竹島研究所」でも論破しておいたように、一顧の価値もない。

 『実測日清韓軍用精図』は1895年に日本で刊行された地図。韓国領内に描かれている「松島」を、保坂氏らは「独島だ」とし、当時の日本でも竹島は韓国領だと認識していたと主張したが、地図上の「松島」は鬱陵島だった。

今よりも日韓間の意思疎通が可能だった明治期

 また徐氏が新藤会長を標的にしたのは、昨年10月、韓国の国会議員13人が竹島に上陸した際、新藤会長が公開質問状を送っていたからである。しかし韓国の国会議員たちは、その公開質問状を送り返しただけで、反論することができなかった。

 その後、韓国の中学生からは、竹島は韓国領とする抗議のはがきが島根県内の中学校に届けられた。これに対して、島根県竹島問題研究会では、子供たちに返事を送って、竹島研究のポイントと竹島問題を考えるヒントを伝えておいた。

 韓国側からのこうした働きかけを無視するのではなく、真摯(しんし)に反論しておくことで韓国側に真実を伝える機会となる。

 それは1910年、日本が大韓帝国を併合する際、韓国の人々からも併合を求める声が出ていたこととも関連している。当時の日韓には、ある程度の意思の疎通が可能だったからである。

 1894年、朝鮮半島を舞台に日清戦争が勃発するが、それは朝鮮国内で起こった民乱がきっかけであった。その民乱の原因は、朝鮮の秕政(ひせい)にあった。朝鮮の人々にも、その独裁的な社会体制を改革するためには、日本との共存が必要だとの認識があった。それが甲申政変(1884年)である。

日本は韓国内の世論を育む努力を

 当時、朝鮮半島の人々が日本と共通の認識が持てたのは、韓国の知識人たちから信頼を得る術を日本人が知っていたからである。儒教文化の影響を受けていた朝鮮では、儒教文化に対する理解度によって、相手を判断する基準としていた。良くも悪くも「文(ぶん)の国」であった。

 朝鮮には、世界で最も文を崇(あが)めた国との自負があり、たとえ没落しても一族を顕彰するためなら故人の文集を競って刊行した。

 このことからも日韓の歴史問題は、首脳会談や外相会談のような外交交渉では解決しない。ましてや「慰安婦合意」を盾に韓国側に履行を迫っても、韓国側の国民感情がそれを許さない。これは、これまで日本がしてこなかったことだが、韓国語で反論して直接、韓国民に訴えることだ。

 日本が韓国を併合した時代と今は違うが、少なくとも韓国内の一部には、日本との合邦を求める国民感情があった。韓国との歴史問題を解消していくためには、韓国内に「竹島は日本領であった」とする国民世論を育むことである。

 今回の“独島カレンダー”や抗議の書簡についても反論していけば、徐氏や保坂氏らが先導してきた反日活動の実態を、韓国民も知ることになるはずである。

 日韓の歴史問題は、官房長官の「遺憾」発言で解決する性格のものではない。韓国の伝統的な社会体質が「文の国」であれば、その「文」を使って攻勢をかけることだ。このコーナーをお読みになっている皆さんが関心を持ってくださり、それを話題にしてくだされば、それが韓国側にも伝わっていく。一人の力は小さいが、それを大きな力にしていくことが、大人の対応である。

   

 【プロフィル】下條正男(しもじょう・まさお) 竹島問題研究の第一人者。拓殖大国際学部教授。平成17(2005)年に島根県が設立した「竹島問題研究会」の座長。著書に「竹島は日韓どちらのものか」(文春新書)など。

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