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【石野伸子の読み直し浪花女】複眼のコスモポリタン陳舜臣(4)台湾で放映「怒りの菩薩」複雑な政治…半世紀前に歴史ミステリー調で提起

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昭和21年、台湾の中学校で英語教師として教壇に立っていたころの陳舜臣
昭和21年、台湾の中学校で英語教師として教壇に立っていたころの陳舜臣

 平成30(2018)年8月、台湾の公共テレビで陳舜臣原作の推理ドラマが「怒りの菩薩」が放映された。全4回の特別編成。

 「怒りの菩薩」は陳舜臣が昭和37(1962)年に書いた長編ミステリー。終戦直後の台湾を舞台に、当時の複雑な住民感情を背景にしながら殺人事件の謎を解く本格推理ものだ。

 主人公の私は日本への留学生で終戦直後、新妻をともなって故郷の台湾に帰る。台北郊外の妻の実家を訪ねた際、事件が起きる。現地には日本人将校の殺害事件を調査にきた軍人がおり、気脈を通じた主人公と菩薩山にのぼる。そこで中国大陸から帰ったばかりの妻の兄が殺される。兄には戦時中の政治活動の影がちらついていた。

 というわけで、戦後まもない当時の台湾、中国、日本をめぐる複雑な政治環境と、それを見つめる人々のまなざしが、ミステリーに落とし込まれ、興味深い。陳舜臣は終戦直後に両親の故郷である台湾に渡り、中学校教師をするなど3年余り過ごした。しかし、大陸からやってきた中国人と台湾在住の人々との騒乱2・28事件に遭遇し、その混乱の中で日本の家族のもとに帰国した。その若き日の体験が生かされている。

 今回のドラマ化にあたっては、台湾の歴史を新たな角度から伝えたかった、という製作者の言葉が外電で伝えられている。50年以上前に書かれた作品で現代に問題提起をする、そこが面白い。

 「複雑な歴史を小説の単なる小道具でなく、きちんと登場人物の人生に落とし込んで語るところに陳舜臣の推理小説の大きな魅力がある。だから時代をへても古びないのでしょう」

 こう語るのは関西学院大学文学部教授の大橋毅彦さんだ。大橋さんは平成30年度の同大学の日本文学特殊講義で陳舜臣を取り上げ、改めて作家が作品に込める思いに打たれたという。

 例えば、「夢ざめの坂」(平成3年)。神戸・三宮の小さなビルのオーナーが、失踪した夫の行方を捜す女性と知り合うことで事件に巻き込まれる。ミステリー仕立ての長編は戦時下の上海が重要な要素になっている。

 大橋さんは戦時下の上海と日本近代文学との関わりを調べており、近作「昭和文学の上海体験」は平成30年、第26回やまなし文学賞を受賞している。

 「陳舜臣さんが当時の上海の文化状況を細かく情報収集していることに驚きました。90年代になって研究が進んだ分野をいち早く取り入れ、作品に生かしているのですから」

 近現代の日本と中国への細かな目配り。それを大衆性を帯びたストーリーに落とし込む筆力。陳舜臣作品の魅了はそこにある。作家はまず推理仕立ての物語にその力量を発揮したが、やがて筆は推理作品の枠組みからはずれ、歴史そのものに向いていく。

 その経緯について、陳舜臣はこんな風に語っている。

 「私は物書きになる前から、アジアの近現代史に関心をもち、いろいろと資料を集めていた。書くテーマはおのずからその方面にしぼられる傾向があり、処女作の『枯草の根』は、日中戦争に根ざした人間模様の葛藤をえがいたミステリーであった。評論家は私の仕事を、歴史とミステリーの二つの流れをもつと解説しているようだ。私にしてみれば、両者をあまりはっきりと分類したくない気持がある」(平成5年出版芸術社版『炎に絵を』あとがき)

 つまり、手法が推理小説であれ歴史小説であれ、アジアの近現代史こそ自分の書きたいテーマである、と宣言している。

 ミステリーそのものも時代とともに変質していく、と陳舜臣は訴えている。社会派ミステリーは松本清張の登場で昭和30年代に大きな流れを生んだ。それは同時に、謎が解けていく知的な驚きを伴う情報化社会の到来と密接な関係があったが、そんな状況は長続きしない。昭和47年に書いた文章「変りつつある推理小説」でこう述べている。

 「これからの推理小説は、これ以上は譲れないという核のまわりに、どれほどゆたかな新しい肉をつけるか、という課題に取り組まねばならないだろう。登場人物の分泌するものを、受け容れるスペースを残しておくべき」

 登場人物の分泌するもの、とはつまり生きた人間の醸し出すもの。人物をいかに魅力的に描けるか。陳舜臣は歴史の人間ドラマに力をそそぎ始める。   =(5)に続く

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【プロフィル】石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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