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【阪神大震災24年】公衆電話守り続ける 携帯普及でも「災害時に不可欠」 神戸の喫茶店主

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阪神大震災直後から使い続けている喫茶店前の公衆電話を手にする岡本美治さん=神戸市須磨区
阪神大震災直後から使い続けている喫茶店前の公衆電話を手にする岡本美治さん=神戸市須磨区

 神戸市須磨区の喫茶店前に古びた緑の公衆電話がある。平成7年の阪神大震災後、店主の岡本美治(みはる)さん(76)が、仮設店舗前に設置したものだ。当時は連絡手段に困った被災者が長蛇の列を作った。あれから24年。携帯電話の普及で利用者はめっきり減ったが、岡本さんは公衆電話を残そうと、今も自ら使い続けている。(坂田弘幸)

 岡本さんは昭和63年、喫茶店「リバティールーム・カーナ」を開業した。だが平成7年1月17日、震災で長田区から須磨区にかけての一帯は大火に包まれた。その日の夜に店も炎にのまれた。

 2週間後、「安否確認に訪れる人たちの道案内ができれば」と、店の焼け跡にビーチパラソルを立て、がれきから掘り出した机とイスを並べて店を再開した。カセットコンロで湯を沸かし、無料でインスタントコーヒーを振る舞った。

 ボランティアらの応援を受け、同年4月にプレハブの仮設店舗を建てた。その際、店前に設置したのが今の公衆電話だ。震災から3カ月がたっても周辺は固定電話が満足に使えず、公衆電話の前には長蛇の列ができた。岡本さんは「『ここに来れば公衆電話がある』と喜ばれた」と懐かしむ。暗闇で光る公衆電話の灯が防犯の役割も果たした。

 しかし、同時期から携帯電話が普及し始め、公衆電話の設置台数は減少の一途をたどった。岡本さんは寂しさを募らせながらも「公衆電話はいざというときに役立つ」との思いは揺るがず、16年11月に店を再建した後も公衆電話を店先に置き続けた。

 電気通信事業法の施行規則は、人口が集中する市街地の500メートル四方に公衆電話1台を設置するよう規定している。ただ、店先に収益目的で置く公衆電話は利用が少ないと撤去対象になるという。岡本さんは撤去されないよう、電話をかける際は店内の固定電話を使わず、店前の公衆電話を使い続けてきた。

 公衆電話への愛着が募り、24年には公益財団法人「日本公衆電話会」兵庫支部長に就任。県内の小学校を回り、公衆電話の操作方法や役割を児童に教えている。公衆電話の使い方を知らず、自宅の電話番号も覚えていない子供が多いといい、「いざというときにどうするのか」と危惧は募るばかりだ。

 「災害時に公衆電話は不可欠。使い方を知っていれば万一の時に役立つ。阪神大震災の教訓を多くの子供たちに伝えたい」。岡本さんはそう話し、公衆電話の受話器を手にした。

■公衆電話 不特定多数が利用できる公共の電話機。停電時のほか、災害で回線が混みあって通信が規制された場合でも、携帯電話や固定電話より優先的につながるようになっている。NTT西日本によると、兵庫県内には阪神大震災前の平成6年3月末には約3万3300台あったが、昨年3月末時点で約6400台にまで減少した。

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