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【正木利和のスポカル】「水晶の夜」を知っていますか?

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 仕事で訪れたドイツのドレスデンの街を歩いていたときのことである。

 11月12日の朝、ホテルのそばの商店街の路上に直径30~40センチほどの赤と白のバラの花で飾られたエリアを見つけた。

 近寄って見ると、そこには金属製のプレートがはめこまれてある。そのそばには溶けたロウソクの跡と白い紙に書かれたメッセージが置かれていた。

 メッセージの文字で自分が判読できたのは、以下の英語で書かれた部分だ。

 《Never Forget Nov・9-10,1938 80 Years Today》

 「1938年11月9日から10日、80年前のきょうを決して忘れるな」

 一緒に旅をしていたある美術館の館長が、それをおもむろにのぞき込んだ。

 「ははーん。なるほどなあ。クリシュタルナハト。ああ、あれか。水晶の夜やね」

 この館長は、若いころにドイツ語を学んでいたのだという。

 しかし、「水晶の夜」とはなんだろう。

ドレスデンの街で見かけた、バラに囲まれた金属プレート。白い紙には「80年前のきょうを決して忘れるな」の文字があった(正木利和撮影)
ドレスデンの街で見かけた、バラに囲まれた金属プレート。白い紙には「80年前のきょうを決して忘れるな」の文字があった(正木利和撮影)

   □    □

 「知りませんか? やっぱり、一定の年齢の人間じゃないと、わからないこともありますなあ」

 と、年配ぶって館長氏がいう。

 ちょっと悔しい。

 同行者が、さっとスマホを取り出し、その「水晶の夜」を探し始めた。

 なんとも、美しい響きである。きっと、夜に起こった、とてつもなくきれいなできごとに違いない。

 しかし、すぐにそれがちょうど80年前にドイツ全土で起こったユダヤ人排斥事件だとわかった。

 かいつまんでいえば、ユダヤ人青年がパリのドイツ大使館を銃撃した、というできごとを口実にして、ナチスの指令で全国のユダヤ人居住区が襲撃された事件である。

 なぜ、「水晶の夜」と呼ばれるのかというと、襲撃されたユダヤ人の商店のウインドーが割られ、そのガラスが路上に散らばってキラキラと輝いていたからだといわれる。

 なんとも詩的だが、それゆえに底知れぬ不気味ささえ感じさせるネーミングでもある。どこかに、その行為を美化するような響きがこめられているようにも思えるからだ。

 メッセージが書かれた白い紙の上部には、ふたつのユダヤの星(六芒星=ろくぼうせい)が記されてあった。花に囲まれた金属のプレートには、7人の人物の名前が彫られている。ラストネームが同じということは、家族だったのであろう。プレートをよく読むと「アウシュビッツ」という言葉が刻まれ、みな1943年に「殺害」されていた。

 「きっと、ここはユダヤ人の居住区だったんでしょう。それで、その夜に襲撃された家族なんちゃいますかねえ」と、館長氏。

 「水晶の夜」に連行されていった人々の泣き叫ぶ姿が、目の前に浮かんできた。

   □    □

 ドレスデンの街は大空襲に見舞われたことで知られている。1945年2月、連合軍の無慈悲な空爆によって、多くの無辜(むこ)の人々が命を落とした。その数約2万5千人ともいわれる。「エルベ川のフィレンツェ」とうたわれた古都はもちろん、街自体もその爆撃により廃虚と化した。

 そのときの痛ましい姿は、いまも容易に目にすることができる。市庁舎の塔から撮影した爆撃直後の写真は、絵はがきになって売られているからだ。その絵はがきを見ると、女神だろうか、塔の上の彫像が焼け焦げた街を静かに見下ろしている構図になっていて、胸が締め付けられる。

ツヴィンガー宮殿も空襲の影響で黒くすすけた壁面が目立つ(正木利和撮影)
ツヴィンガー宮殿も空襲の影響で黒くすすけた壁面が目立つ(正木利和撮影)

 それほどまでに痛めつけられながら、ドレスデンの人々はそのがれきを残していった。そして、平和がやってきたとき、それをジグソーパズルのように組み上げ、街を再建してゆくのである。

 実際、この街を歩けば、黒くすすけた建材と白っぽく新しい建材が組み合わさってできている建物が多いことに気づくに違いない。

 灰燼(かいじん)のなかから、不死鳥のようによみがえった街を歩きながら考えた。悲惨なできごとを決して忘れることのないよう、街そのものに記憶させるためドレスデンの人たちは、この事業をやってきたんだ、と。

 悲しみから目をそらさないこと。決して忘れないこと。

 「水晶の夜」の話が、そこに重なった。

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 ドレスデンからもどってきてしばらくして、仕事でミュンヘンにいた知人女性が、真っ赤な花で美術館の前を埋め尽くすような写真をフェイスブックにアップした。

 どうやら、11月11日が第一次世界大戦の終戦記念日で、その戦没者を追悼するためのデコレーションらしい。

 ことしは、終戦から100年目だという。彼女によれば12月2日まで、こうした催しが欧州各地で行われるそうである。

 真っ赤な花は戦争で散った人たちの尊い血の色ではないか。

 そんなコメントを送ったら、荒野に最初に咲いた花がポピー(ケシ)だったことから、赤いポピーをかたどったのだという返信があった。

 《ヨーロッパは歴史を人々の記憶にとどめる方法がとてもうまい》

 こう彼女は記している。

 まったく、その通りだと思う。

 人は辛く悲しい記憶を忘れたがる生き物だ。だからこそ、未来に生きる人たちのために悲惨な記憶を後世につなぐ努力が、今を生きるわれわれに求められるのであろう。

     ◇

 【プロフィル】正木利和(まさき・としかず) 産経新聞文化部編集委員。大阪新聞から産経新聞社会部、運動部、部長を経て現職。運動部歴25年目となった秋、念願かなって美術担当に。好きなものは以下の通り。富岡鉄斎の絵、ジャランスリワヤの靴、よく墨のおりる端渓硯(たんけいけん)、勇敢なボクサー、寡黙な長距離走者。当コラムはスポーツとカルチャーの話題を中心にすることからネーミング。おみしりおきを。

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