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【正木利和のスポカル】「自分の行為は世界に響いている」 美術家、堀尾貞治さんが遺した言葉のアート

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個展会場で笑顔を見せるありし日の堀尾貞治さん=7月17日、大阪市中央区
個展会場で笑顔を見せるありし日の堀尾貞治さん=7月17日、大阪市中央区

 旅のしたくをしているさなかに、神戸のあるギャラリーのオーナーからラインが届いた。4日の夜のことだ。

 「堀尾貞治さんとは交友がありましたか?」

 そう聞いている。

 堀尾さんといえば戦後、兵庫県芦屋市で誕生した前衛美術団体、具体美術協会(具体)に加わり、リーダーの吉原治良が亡くなって解散したあとも三菱重工神戸造船所で働きながら、絵画やオブジェなどさまざまな作品を発表し続けてきている人気の現代美術家だ。

 むろん、具体の連載などでお世話になっていたから「ありますよ。何か?」と連絡した。

 少し胸騒ぎがした。

 しばらくすると「訃報」というタイトルの文書が届いた。

 亡くなった日付、通夜、葬儀の場所と日取り…。

 まさか、と思った。

 この夏、大阪の個展会場でお会いしたときには、とても元気そうだったのに。春に行ったベルギーのことなどを、明るい笑顔で話してくれたのに。

 しかし、本当はめまいや難聴に苦しむメニエール病と闘っていた、ということを通夜の席で聞いた。

 堀尾さんは、帰らぬ人となってしまった。

□    □

 堀尾さんが美術と出合ったのは小学校のころ。先生にほめられたのがきっかけで、どんどん好きになっていったらしい。「たとえ家の裏のイチジクの枯れ木を描こうが、学校の便所を描こうが、先生はほめてくれた。(対象は)そんなもんでもええんやでって」

 中学に進んで図工部に入り、表現する解放感や理屈のいらないおもしろさにひきこまれるうち、ある夏の日に「死ぬまで美術をやりたい」と、覚悟を決めたのだそうだ。

 働きながら作品を作り続けたのは、家が貧しかったからだった。「長男やったからね。働いて家を支えなあかんかった」。美大への夢をあきらめ、中学を卒業して入った職場の美術クラブで創作を続けた。そのとき描いた風景画が具体のリーダー、吉原との間を取り持った。1957(昭和32)年の芦屋市展に初めて出したその絵が、一発入選を果たしたのだ。それがもとで、吉原をはじめ元永定正、白髪一雄といった具体のメンバーと知り合う。

 「具体は僕の青春やった。ええ人にたくさんであったんや」

 1965年から具体で活動した。66年には大阪・信濃橋画廊で初個展。72年、吉原の死去により解散するまで、具体展に出品し続けている。

 美術を愛し、具体を愛した堀尾さんがその後も定年までサラリーマン生活を続けてゆくのは、白髪一雄にかけられた言葉のせいだったという。

 「自分を切り売りすることのないよう、仕事を続けながら創作をしろ」

 堀尾さんは言った。

 「自分の身銭を切ることで、やりたいようにやれるやろ。そう思ってがんばってきたんや」

□    □

 神戸市の自宅をうかがったとき、アトリエにも自室にも、言葉が書き付けられた紙があちこちに貼られていて、まるで受験生みたいだなあ、と思った。

 堀尾さんのなかには、いつまでも青春時代が続いていたに違いない。そう思わせる熱い言葉が、あたりにほとばしった。

 《芸術にやりすぎはない》

 《自分の行為は世界に響いている》

 《大事なことはいつ聞いても新しい》

 《親分が愚痴をいってはならん》

 《即興から発狂へ》

 85年から、毎日1色のアクリル絵の具を塗ってゆき、高く積み重ねた作品「色塗り」に代表されるように、目に見えない「空気」というものを「あたりまえのこと」と表現し、その「空気を可視化する」という試みを行ってきた。

 1分で描き上げ、100円で売ることもある即興性の強い作品は、「会場で捨てられることもあったんや」と笑っていたが、実は高い精神性に支えられていたのである。

 「戦後、人間は奈落の底からはいあがった。まず精神があって物がある」

 「芸術は力を持ってる。思いついたことなんて、どっからくるかわからんけど、それこそが芸術なんや」

 いつも、おだやかな口調だった。だから、よけいに堀尾さんの言葉は、ひとつひとつがしみてきた。

□    □

 「生きている時間は、二度と帰ってはこない。そのなかで、表現でない表現がパフォーマンスとして勝手に出てくるんや。そうやな、生きてること自体が表現や」

 《奇蹟を起こす人になれ》

 結局、自宅の壁に貼られたこの言葉のように、自分を鼓舞しながら生きた人だった。

 ベルギーのアートディーラー、アクセル・ヴェルボールト氏がコレクターとなって、世界を飛び回るようになった。

 夏の個展のとき、堀尾さんのふとした言葉に、芸術に対する覚悟を聞いた気がした。

 「芸術は人間を豊かにする。われわれはそこに命をかけて生きている」

 「せっかく生きてるんやから、どんどんいかな」

 記事が載ったあと、1枚のはがきが届いた。そこには、こう記されていた。

 「気持ちのいい記事ありがとう ヤラネバという気にさせる文章やと思いました ほんとに生きてる間のチョンのまのことやと思います ガンバリます」

 短い生をさとったような堀尾さんの礼状を見るたびに、いまも胸がつまる。

     ◇

【プロフィル】正木利和 産経新聞文化部編集委員。大阪新聞から産経新聞社会部、運動部、部長を経て現職。運動部歴25年目となった秋、念願かなって美術担当に。好きなものは以下の通り。富岡鉄斎の絵、ジャランスリワヤの靴、よく墨のおりる端渓硯(たんけいけん)、勇敢なボクサー、寡黙な長距離走者。当コラムはスポーツとカルチャーの話題を中心にすることからネーミング。おみしりおきを。

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