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【正木利和のスポカル】風来坊貴公子パスキン 真珠色の肌の秘密と不倫の苦しみ

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パスキン「腰かける少女」
パスキン「腰かける少女」

 ジュール・パスキン(1885~1930年)の葬儀の日の6月7日、パリでは全てのギャラリーが店を閉じ、喪に服したといわれる。

 彼は、それほどの画家だった。

 大阪市西区江戸堀のジェイドギャラリーで、婦人像、少女像を集めた展覧会「女性像展」が行われている。

 そこには20世紀最大の宗教画家といわれるジョルジュ・ルオー(1871~1958年)の珍しい裸婦、藤田嗣治(1886~1968年)が描いた愛らしい少女たちの絵とともに、パスキンの「腰かける少女」も並んでいる。

 30号という比較的大きな画面に描かれているのは、ブルーのイスに座った下着姿の少女である。彼女の顔は、幼い少女のあどけなさをもっているが、ポーズはまるで娼婦のようにしどけなく、その「矛盾」が、見る者の目を引きつけずにおかない。

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 ブルガリアで裕福なユダヤ系商人の息子として生まれたパスキンは、ベルリンやウィーンの美術学校に通って絵画を学び、早くから挿絵画家として名をなした。

 本名はユリウス・モルデカイ・ピンカス。風刺雑誌と専属契約を結んだ19歳のころから、ピンカスのつづりを並べかえて「パスキン」と名乗り始めている。

 1905年にパリに出ると、サロン・ドートンヌやアンデパンダン展に作品を発表。第一次大戦を逃れて渡った米国で結婚し、大戦後はパリにもどってモンマルトルにアトリエを構え、エコール・ド・パリ(パリの外国人画家グループ)の画家たちと交流した。

 独自の作風を確立したのは20年代。柔らかいタッチで、ぼんやりとした淡い色彩とふるえるような輪郭線を用い、退廃的な裸婦や少女を描いた。そのアンニュイ(倦怠)な雰囲気は、独特のエロチシズムの表現に成功している。

 「絵の具を盛り上げず、雲母のように薄く重ねることで、真珠のような輝きを創出しています。まるで、存在のはかなさを表現しているかのようにも見えます」とエコール・ド・パリの画家に詳しい同ギャラリー代表取締役の井上勝之さんはいう。

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 その「はかなさ」は、いったいどこからきているのか。

 「ハンサムでだて男の(アメデオ・)モディリアーニやエネルギッシュな(パブロ・)ピカソ、堅物のルオーといった、画家としてのキャラクターが立っていない。どこかアイデンティティーを見つけられないようなところがみえるのです」

 井上さんはそう指摘する。

 確かに、彼は20年代のパリの甘美に包まれた憂愁を、その筆で描き出した。パリの社交界でも華やかな生活を送り、「エコール・ド・パリの貴公子」などと呼ばれてはいるが、その一方でアルジェリア、チュニジア、スペイン、ポルトガルなど世界各地を放浪している。アイデンティティーを見つけられない、という指摘はそうしたボヘミアンとしての部分にあるのだろう。

 何かを求めて世界をさまよったあげく、アルコール依存症や内面的な不安にも苦しんだ。

 だから、アンニュイとかデラシネ(根無し草)という言葉の似合うそのはかなげな絵は、まるで不安な心象風景を投影させたもののように映る。

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 彼が首つり自殺をしたのは、個展が開催される前日のことだった。

 その理由はいまもって謎とされる。

 パリ派のなかでも売れている画家だったのだから、経済的な不安などはなかったはずである。絶頂期にあっただけに、創作の行き詰まりといったことも当てはまりはしないに違いない。

 「なぜ亡くなったのか、ほんとうの理由はいまもわからないのです。とにかく、それが新聞を騒がせるほどのできごとだったということだけは確かです」と井上さんはいう。

 格好のゴシップネタがあった。彼は首をくくるまえに手首を切っていたのだ。

 「風呂場の壁には『アデュー ルーシー』と書かれた血文字が残されていたそうです。彼は妻でなく、既婚の愛人の名前をしるした。アデューというのは長いお別れのこと。つまり、あの世で会おうくらいの意味があるのです」(井上さん)

 道ならぬ恋、か…。

 作家、有島武郎をはじめ、洋の東西を問わず、それに殉じた人はいる。

 「その後、パスキンのことを風化させることのないように、ということもあったのでしょう、奥さんと愛人の間には良好な関係が生まれたそうです」

 なぜだか、井上さんからそう聞いたとき、彼の死がまるで道化のように思え、その苦悩がよけい切なく胸に迫ってきた。彼の壊れやすい心を救えるものは、結局、どこにもなかったということなのだろう。

 そんなことを知ってか知らずか、パスキンの描いた少女の真珠の肌は、いつまでも妖しく輝き続けるのである。

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 10作家の16点が並ぶ「女性像展」は16日まで(日曜・祝日休廊)。入場無料。

 【正木利和】産経新聞文化部編集委員。大阪新聞から産経新聞社会部、運動部、部長を経て現職。運動部歴25年目となった秋、念願かなって美術担当に。好きなものは以下の通り。富岡鉄斎の絵、ジャランスリワヤの靴、よく墨のおりる端渓硯(たんけいけん)、勇敢なボクサー、寡黙な長距離走者。当コラムはスポーツとカルチャーの話題を中心にすることからネーミング。おみしりおきを。

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