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【石野伸子の読み直し浪花女】小松左京・不滅のSF魂(3)2つのタブー 漫画家デビューの事実、日本沈没の続編

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空前のヒットとなった「日本沈没」
空前のヒットとなった「日本沈没」

 空前のヒットとなった「日本沈没」。小松左京はこの作品を書くのに9年の歳月をかけた。

 構想のきっかけを得たのは、「サイエンティフィック・アメリカン」や「ナショナル・ジオグラフィック」などの外国の科学雑誌。地球物理学の世界で「海洋底拡大説」が注目されていることが紹介され、これでウェゲナーの大陸移動説が復活するのかと興奮したことにある、と自伝などで述懐している。

 ウェゲナーは気象学者で1912年に「大陸移動説」を発表して世界的に注目された。世界は大陸の形をつなぎ合わせるとパズルのように当てはまることから、もともと一つの巨大な大陸であったものが分裂して今の形になったとの仮説を提唱した。ただ大陸を動かす動力源が当時は判らず、ウェゲナーは自らの仮説を裏付ける証拠を集めるためグリーンランドに赴き、そこで調査中に命を落とした。小松左京が生まれる前年、1930(昭和5)年のことだ。

 いつしか忘れられていた理論が、新しい地球物理学の知見、海底のマントル対流による地殻変動によって説明可能になった。再びウェゲナーの大陸移動説が注目され始める。小松左京はいち早くその情報を得ることで作品の重要な理論を手にしたことになる。常に大阪・北区にあったアメリカンセンターなどに通い、外国の科学雑誌などをチェックしていた努力が実った。

 しかし、日本を沈没させることに苦労する。実は小松左京には、日本列島をどうしても「沈没」させたい思いが強くあったのだ。それはなぜか。

 小松の「日本沈没」へのこだわりがよくわかるのが、若いころに書いた漫画だ。実は小松左京は、SF作家として世に出るより前に、漫画家としてデビューしている。

 「わが家には家で話してはいけない話題が2つありました。ひとつが日本沈没の続編を話題にすること。もうひとつが、父の漫画家時代のことをたずねることでした」

 というのは、小松左京の次男で小松ライブライリを運営する小松実盛さん。

 「日本沈没」は早くから続編が期待された。もともと超大作になりすぎて、出版社から途中で出版することを余儀なくされた作品。本来は国土を失った日本国民のその後の苦闘について書きたいというのがSF作家・小松左京の思い。そのため作品は「第一部完」という異例の形で終わっている。実際に第二部が世に出たのは25年後。小松は多忙を極め、「体力的にも自ら執筆するのが不可能になり」、プロジェクトチームを作って構想を練り、SF作家の谷甲州が筆を執って完成させた。その間、家族の間でも話題にするのをはばかるほど、作家は気にしていたのだ。

 そして、もうひとつのタブーが漫画。

 小松左京が漫画を描き始めたのは手塚治虫にあこがれてのこと。まだ京都大の学生のころ。小松は手塚治虫の才能に圧倒され、その後、筆を折ってしまうが、漫画について触れられることを極端に嫌がったという。家には漫画原稿がたくさん残っていたが、それは左京の母親が保存していたためで、あるとき家の中で見つけた小松左京はその場で破り捨ててしまうほど、家族にも封印を求めた。

 しかし、その漫画作品が近年、SF作家・小松左京の原点として注目されている。

 実は学生時代に書いた作品は出版されている。モリ・ミノルのペンネームで「ぼくらの地球」「イワンの馬鹿」「大地底海」の3冊が大阪の出版社から出されていたのだ。それらの作品は、「幻の小松左京モリ・ミノル漫画全集」(小学館)として復刻出版されている。まだ小松生前のことだが、その後も小松の漫画の出版物があることがわかった。

 没後の平成(2014)26年、米国で、未知の作品「怪人スケレトン博士」が発見されたのだ。これは、GHQが検閲した戦後日本の出版物などを多数所蔵するメリーランド大学のプランゲ文庫の中にあったもので、作品は本名の小松実の名前で出されている。昭和24(1949)年、旧制三高(京大)時代の18歳。小松にとって最も早い出版物となる。

 興味深いのは、このデビュー作で早くも日本沈没のアイデアが登場することだ。どんな作品か。   =(4)に続く

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石野伸子 石野伸子 産経新聞特別記者兼編集委員。生活面記者として長らく大阪の衣食住を取材。生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条としている。

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