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【西日本豪雨】実家が“被災”した記者の3カ月 岡山支局、中村記者 

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 「2階にはあがったけれど、もう腰まで水が…」-。7月7日午前5時7分、実家の母親(81)から電話があった。岡山県倉敷市真備(まび)町の実家が浸水し、母と2人きりで暮らす5歳下の妹(50)が危険に直面している。「今すぐ外へ!」。眠気は吹き飛び、背筋が凍った。幸い2人は近隣の男性に救助されたが、あの日から3カ月。みなし仮設住宅に入居した母親らとともに私も“被災者”として過ごしている。(中村宏二)

 小学校4年から高校3年までを真備町で過ごしていた。和歌山で勤務していたが、9月1日付で岡山支局に異動。現在は、故郷が復興に向けて奮闘する様子などを取材している。

 あの日、泥水は実家の2階の天井近くにまで達した。母と妹の無事は何よりだったが、実家は生活基盤のすべてを失った。

 2人をサポートできるのは自分しかいない。「(被災した)みんなといるほうが安心」という母の心情を尊重し、2人とともに同市水島地区の小学校で避難所生活を送った。

 7月中は保険会社への連絡や被災者生活再建支援金の申請など、さまざまな手続きに追われた。移動手段が「徒歩」しかない家族の通院や入浴のための運転手役や実家の片付けなどで、自分自身もストレスにさらされた。

 実家の片付けは、すべてが「ごみ」となった家財の運び出しから始まり、炎天下、水を吸った布団や畳の重さに打ちのめされた。作業は1人では進まず、ボランティアに協力を仰いだ。

 猛暑の中で懸命に作業に取り組んでくれた彼らは、貴重品や写真などを見つけると「捨てないでおきましょう」などと気を使ってくれた。絶望的に思えた家の中の惨状は、数時間で家財が搬出され、手を合わせたくなるほどにありがたかった。

 実家は水害対応の保険に入っていたが、手続きには紆余(うよ)曲折もあった。補償を受けるには保険会社の査定があるが、立ち会いをせず任せきりにしていた。

 その後のやりとりで、浸水高が約40センチも低く査定されていたことが判明。再度立ち会いのもとで査定を受け、2階床下から180センチの浸水が認められたが、当初の査定では補償に大きな差が出たかもしれない。

 わが家は岡山県が用意したみなし仮設住宅に入居し、ようやく平穏を手に入れ、どうにか家の再建などの先行きも見えてきた。

 友人たちも頑張っていた。真備(まきび)中時代の同級生(54)が経営する理髪店も浸水したが、周囲からの「早く店を再開して」の声を受け、リフォームを実現。8月中旬に店を再開させた。

 その一方、近所にはいまだに家の片付けもままならない様子の高齢者世帯もある。早々に解体、撤去されたなじみの店もある。

 被害の甚大さは物質面だけではない。生死を分け、さらには思い出を奪われた故郷の人々の心に大きな爪痕を残したことを実感させられ、複雑な気持ちをぬぐえずにいる。

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